愛する海棠貴之と、小さなマンションで暮らし始めて1週間。
 有栖川凛は、ちょっと困っていた。

 母方の祖父は、サーの称号を持つイギリス貴族。
 父親は日本でも有数の家電・OA機器メーカー『シーサンズ・コーポレーション』の会長。
 そんな御身分の貴之が、愛する凛のためにと、家も捨て、身分も捨て、財産も捨て、ただのプー太郎に成り下がり、男同士の禁忌を超えた生活へと踏み込んでくれたのだ。
 こんな嬉しいことはない!

 ――はずなのに、どんな幸せの中にでも、やっぱりそれなりに悩みは隠れているもの。

(毎日毎日こんなことしてて、いいんだろうか〜?)
 ってのが、今朝もまた、愛の余韻を散々に残したキングサイズのベッドの上、貴之の腕の中で目を覚ました凛の最大の悩みだった。
 新婚生活1週間目。
 文字通り略奪されて連れて来られた2LDKのこの部屋で、使ったのは寝室とバスルームだけ。
 せっかく手料理を作ってやろうと思ってたのに、二人のための小さなダイニングテーブルは未だ使われないまま、デリバリーのピザや店屋物を寝室でいただく生活が続いている。
 6畳間には段ボールに入ったままの引っ越し荷物が積んであるし。
 近くに安売りのスーパーやら商店街があるのに。
 コーヒーカップ一つ、鍋一つ買いにいけないってのは、やはり問題じゃないかー?

(せめて、最低限の生活ができる状態にしない〜?)
 と、思ってはいても、ここ数ヶ月間堪えに堪えてきた貴之の愛は、眠っている今でさえ、朝立ちという形でしっかり凛を求めている。
 これが衰えを見せる日はいつなのか?
 はたして、それまで自分の身体がもつのだろうか?

 などと、たった1週間目にして、すでにこれからの生活に不安を感じている凛だった。

       ◆◆◆

 ――さて。
 ここは『素晴らしきゲイカップルの大先輩』として、凛が憧れを寄せている南部芳と、そのパートナー久住弘樹のマンションだった。
 今日は、凛にとって10日ぶりの外出だった。
「まだあなたを抱いていたいのに〜」
 と、子供のように渋る貴之を口説き落とし、なんとか引っ越し荷物の片付けに向かわせ。
 自分は買い物と称して、芳の元に相談に駆けつけたのだ。

「ちょっと痩せたんじゃない?」
 開口一番、芳に言われた時には、やっぱりと思ってしまった。
 毎日、毎日、朝から晩まで搾り取られいるから。
 インドア派の凛が、慣れぬ柔軟運動を散々やらされているから。
 そりゃあ痩せなきゃウソだってー。
「新婚ラブラブだから、ついつい夢中になりすぎちゃう気持ちはわからないでもないけど。その痩せ方は、あまり健康的とは言い難いな」
 やはり9年間受けをし続けてきた大先輩は、ちゃんとわかってらっしゃると、思わず涙ぐむ凛だったが。
 芳に連れられて入ったリビングで、ダイニングテーブルに腰掛けて呑気にお茶など呑んでいるもう一人の芳を見つけた瞬間――…、
「どっ…どーしよー、幻覚が見える〜☆」
 と、自分のあまりの消耗ぶりに、ついに泣き出してしまった。
「や…やっぱり、あんな生活、俺には無理なんだ〜!」
「まあまあ、落ち着いて、あれは幻覚じゃないよ。俺の弟」
「…………は…?」
 ヒックと、凛は顔を上げる。
「……お…弟って…?」
「前に話しただろう。真性ゲイの弟がいるって」
「……だって、ソックリ」
「双子だからね」
「……双子ぉ…!?」
 唖然と凛は、芳ソックリの弟を見やる。
「は〜い♪ 南部晶でーす」
 顔は瓜二つでも、性格はかなり違うらしい晶は、お気楽そうにヒラヒラと手を振ってくる。

(ウソぉ〜☆ 世界一キレイな双子じゃない〜)
 凛は、開いた口が塞がらない。

「可愛いじゃん。何〜、新婚ラブラブなのぉ?」
 玄関で交わされていた会話を聞いていたのだろう晶は、
「おいで、おいで。お兄さんが話を聞いてあげよう」
 と、ニッコリ微笑でもって凛をたらし込みにかかる。
 そこは『天使の笑顔』と誰もが口を揃えて褒めちぎる晶だから、芸能一家の次男坊として有名俳優を見慣れて育った凛でさえ、惚けてしまうほどの美しさ。
 思わずフラフラと晶の隣に腰を下ろしてしまう。
「……よ…よろしく。有栖川凛です」
「凛君かー。その細腰で受けは辛いねぇ〜」
 晶は心配するとゆーより、むしろ楽しげに言いながら、凛の髪やら頬を撫で回す。

(おい〜、お前、受け専門じゃなかったのか…☆)
 キッチンでお茶の準備をしながら、芳は呆れ顔だ。
 ようはとことんメンクイの晶は、結局、キレイなら受け子ちゃんでも好きなようだ。
 そういえば、子供嫌いと言いながら、公平相手にはいつも楽しそうに遊んでいた。
 節操のなさは、もう生まれつきらしい。
「さあさあ、話してごらん。俺は兄貴と違って、バリバリ真性のゲイだから、なぁーんでも聞いてあげるよ」
 と、肩など抱きながら、凛の顔を覗き込んでいる。
「は…はあ……」
 凛は、夢心地で頬を赤らめる。

 ――その時。
「晶さん、あなた、受けじゃなかったんですか?」
 突然聞こえてきたのは、この屋の主、久住弘樹の声だ。
「もう帰ったかと思ってたのに……」
 うんざり顔で晶を見やると、持っていたゴルフバッグを廊下の隅に置いて、リビングに入ってくる。
「打ちっ放し、調子どーだった?」
「行ってる間にあなたが消えてくれていたら、もうー最高だったんですけどね」
 言い捨てると、久住はドカリと凛の正面に腰を下ろした。
 不機嫌丸出しの久住を挑発するように、晶はアッカンベーなどしてみせる。
「残念でした。今日は夜までいるよー。大地のヤツ、サッカー部の練習試合だって、夜まで帰ってこないから」
「いっしょに行ったらよかったのに」
「バ〜カ。関係のない教師が休み潰して応援にいくほどの試合じゃないんだよ。俺だって、あんまりベタベタして大地を困らせたくはないからね〜」

 話題の主、深見大地は、晶の6つ年下の恋人で同棲相手でもある。
 晶は御園高校の美術教師として、大地は教え子として知り合い、何重もの禁忌を超えて結ばれてから、すでに9年がすぎている。
 つまり、芳が久住と過ごしてきた同じ年月を、晶も大地とともに過ごしているわけで、これぞ双子の神秘といえよう。
 幼い頃からJリーガーを目指していた大地だったが、ケガのせいでサッカーを断念し、今は体育教師となって晶と出逢った思い出深き御園高校に勤めている。
 今日は、大地が顧問をしているサッカー部の試合に行ってしまったもので、ヒマを持て余した晶は、
「俺だけ一人なんて、狡いも〜ん」
 と、ばかりに芳と久住のお邪魔をしに来たのだ。

 ようは、芳を挟んで、恋人の久住と弟の晶で、愛情の取り合いをしているのだが。
 お初に逢った凛でさえ、
(この二人、すっごく仲が悪そう〜☆)
 と、思ってしまうほど、マジで犬猿の仲の二人だった。

 もっとも、芳にしてみれば、そんな比べようのないことで9年もの間いがみ合いを続けていられる二人は、実はケンカを楽しんでいるようにさえ思えてしまう。
(久住、晶が来ると、とたんにおしゃべりになるしー)
 と、達観してきた芳は、最近は仲裁に入るのもやめてしまった。
 すっかり悪戯っ子二人の兄の気分なのだ。

「大変ですねー。教師は聖職だし、生徒に与える影響を考えるとバラすわけにもいかないし」
 いつまでも帰る気配のない晶に、久住のイヤミが飛んでいく。
「もうーバレてるよ〜ん」
「その上、開き直るしー」
「御園は県下一の男子校のせいか、イイ男が溢れちゃってて、男同士でできちゃうってのが当たり前なの。だから、よけいに周りが気になるんだよ。俺はいいけどさ。大地はからかわれるのって嫌いだろ」
「あの生真面目な男が、今もって、あなたに呆れずにいるってのが信じられませんね」
「そりゃあ俺が魅力的だからっしょ。なにしろ芳兄貴と同じこの顔だからー」
「それで、芳と同じ顔じゃなかったら、さっさとぶん殴って放り出してやりますよ」
 チッと、久住は悔しげな舌打ちをした。
 どれほど晶を嫌ってはいても、さすがに愛する人と同じ顔を殴ることはできないらしい。
 これが、久住の絶対的な弱味なのだ。

「はいはい、楽しくおしゃべりしてるところを邪魔するようだけど、凛君の話を聞いてやりたいから」
 と、芳が、お盆に三人分の湯飲みを乗せて現れた。
「誰が楽しくおしゃべりだってー!?」
 とたんに、久住と晶が声を揃えて言ったもんだ。
(ほら〜、息がピッタリじゃないかー)
 と、心で思いながら、湯飲みをそれぞれの前に置く。
「俺もお代わり〜」
 あからさまに甘えた調子で、晶が空っぽになってしまった湯飲みを差し出してくる。
「はいはい」
 かいがいしく急須でお茶を注いでやってる芳の姿を、久住が忌々しげに横目で睨んでいる。
(くっそ〜☆ 晶さんにばかり笑いかけてー)
 と、臍を噛む久住だが。
 芳は、手放しで可愛い弟を愛してるから、こればかりはどーにもならないのだ。
 バチバチと火花を飛び交う、晶と久住の無言のバトルを、芳は慣れた調子で無視すると、久住の隣に腰掛ける。

「で、貴之君と新婚生活を始めたばかりの君が、またどーして?」
 優しいお兄さんの顔で、問いかける。
「はあ…、それが……」
 モジモジと言い淀む凛の反応だけで、なんとなく内容が察せられてしまう。
「やつれたことと関係ありかな?」
 苦笑する芳に、凛が言葉より明確にボボッと顔を赤らめた。
「貴之君が放してくれないのかな?」
「……はあ、ようは、そーゆーことで…」
「それがイヤってわけじゃないんだろう?」
「もちろんイヤじゃないです…。でも、やっぱ、限度ってのはあるんじゃないかと……」
「いっしょに暮らすようになって10日だろ。まさかその間中、ずっととか?」
「……………………」
 返事がないのは正解の証拠。
「う〜ん、頑張るねー。彼も〜」
 イギリス育ちのジェントルマンのくせに、と芳はちょっと笑ってしまった。
 結局、愛する人を求める気持ちには、お育ちなど関係ないのだ。

「やっぱ…10日もこもりっきりってのは不健康ですよね?」
 恐る恐る凛は訊ねる。
「前にも言ったけど、そーゆーのはあくまで個人差だからね。でも、露骨に痩せたのがわかるようじゃ、ちょっとどうかな」
「普通、どれっくらいの周期でやるもんなんでしょう? 芳さん達は…けっこう頻繁だと……」
「けっこう頻繁じゃなくて、毎晩だよ。このバカが好き者なんで」
 と、芳は隣の男を一瞥する。
「いっしょに暮らすようになって9年になるけど、いっこうに飽きてくれない」
 芳の投げやりな物言いに、久住の顔がキッと歪む。
「俺が飽きないんじゃなくて、あなたが淡泊すぎるんです」
「ちゃんと反応してやってるぞ」
「ほう〜。この9年、いったい何回、あなたの方から俺を求めてくれたか覚えてますか?」
「そんなこと数えてるわけないだろう」
「88回です。いっしょに暮らし始めてから、1年365日、閏年が2年あって、今日まで3319日。あなたがハッキリと、今日はやろうとか今晩は抱いてとか誘ってくれたのは、たった88回ですっ!」
「……お前、よほどヒマなんだな。そんなもん数えるか?」
「数えますよ、俺は。てゆーか、それほどあなたが求めてくれたのが稀なんです」
「ふうん〜。88回って年に10回だろ。けっこうな回数だぞ」
 芳は感心したように言う。
 自分でも、そんなに求めた覚えはないらしい。

「わかるか? こーゆー人なんだよ、この人は」
 久住は身を乗り出し、わざとらしく凛に耳打ちした。
「たぶん君も同じタイプだ。自分では、けっこう積極的にしてるつもりだろう。でも、その実、いつも相手におんぶに抱っこなわけだ。それじゃあ何十日こもってたって、満足感なんか得られやしない。問題は、どれだけお互いに欲しがったかだなんだ」
「う……☆」
 そんな、ズバリと気にしてることを言わなくたってぇ〜☆
 思わず引いてしまう凛だが、
「凛君、久住の意見は無視していいよ。ようは攻めの男の身勝手な意見なんだから」
 と、キッパリ芳が釘を刺す。
「男同士の場合、どうしたって受けの方が負担が大きいんだ。少々相手に我慢してもらわないと身が持たないよ」

「いやいや〜。ちょっと待てー! 異議あり!」
 突然、高々と手を上げたのは、晶だった。

「確かに受けは負担が大きいけど、だからって逃げるみたいな考えは好きじゃないなぁ〜。だいたい、もとがノンケの兄貴が受け代表みたいな顔して語らないで欲しいよ」
 と、部外者のくせに偉そうに語り出す。
「おやおや。じゃあ『受け専門のバリバリ真性ゲイ』を自認する、お前の意見を聞こうじゃないか」
「ふふん〜。黙ってお聞きなさいってー」
 晶は、ゴホンと一つ咳払いをした。
「つまりー、確かに最初は負担も多いけど、慣れればメチャメチャイイってことさ。SEX目当てのホモが多いのも、嘆かわしいけど事実だしね。これはもう同性の方が快感のポイントを知ってるから、しょうがないんだよ」
 と、ご高説をぶってる晶の前で、珍しくも久住がウンウンと頷いているじゃないか。
「同感ですね。それにゲイカップルの場合、結婚ってゆー法的絆がない分、証を求めてより濃厚な肉体関係を求める傾向はあると思いますよ」
 と、同意までされると、まさに春の珍事って感じだ。

(なんだよ、珍しく意見が合ったと思えば、結局やることしか考えてない自分を正当化したいだけじゃないか〜☆)
 だが、付き合いの長い芳には、好き者二人のホンネなど丸わかりだ。

 しかし晶は、我が意を得たりとばかりに、声を上げる。
「そうそう! 久住さんにしちゃあ、まともなことゆーじゃん」
「どうも…。あなたに褒められても、嬉しくもないけど…☆」
「さらにノンケの恋人を持った受けの立場で言わせてもらえると、毎日でも抱かれたいってのがマジな気持ち! だって、いつ女に走られるかもわからないんだから、そーゆー不安を払拭するためにもね」
「それは、ノーマルな恋人を持った攻めだって同じですよ」
 と、久住まで調子にノッてくる。
「それこそ、いつ抱かれることをイヤがって、やっぱり抱く方に戻りたいって言い出すかもしれないんだから。徹底的に抱かれる悦びを、それこそ朝から晩までだって教え込んでやっていたいですね」

「ちょ…ちょっと待てーっ!」
 ドンッと、芳は拳をテーブルに叩きつけた。

「じゃあ、何かお前らー。9年も付き合ってきて、まだ相手を信じてないってことか〜!? 久住、お前いったい毎日俺の何を見てるんだ」
「引き締まったステキなお尻を見てます」
 ボケッ――☆
 と、芳の鉄拳が久住の頭に炸裂する。
「ひどいなぁ〜☆ 9年もいっしょに暮らして、未だにこの程度の冗談も通用しないってのが、俺を不安にさせるんじゃないですか」
「人前でゆー冗談じゃないだろうっ! 何十年たったって、下品な言葉を他人様の前で連呼した場合は、天誅を食らわせるからな」
「ほらねー、芳はけっこう男らしいだろう」
 と、久住は凛に視線を送る。
「男に引っかかることはまずないだろうけど、女に目覚めることは有り得なくはないと思わないか? 攻めだからって、こーゆーパートナーを相手にしてると、やっぱり不安になるもんだよ」
 って、そんな自信満々な顔で言われたってー。
「君も、抱かれることに素直になりきれない部分もあるようだけど。強引なようでいて、攻めにもあれこれ悩みはあるもんなんだよ」
「でも、受けにだって、男として一人前にあつかって欲しいって悩みはあるんだけどぉ〜」
 ゴニョゴニョと、言い淀む凛。

 その時――…、
「うんにゃ〜。それが間違いの素っ!」
 と、再び声高に参戦してきたのは晶だ。
「男として同等でありたいなんて思っちゃダメ!」
「はいぃ……?」
「端からこっちが上なんだよ! 抱かせてやってるんだって気にならなきゃ。タカビーな女王様になりきって、奉仕させ、快楽を貪り尽くことこそ受けの真骨頂〜!」
 ジーンと、自分の意見に酔いしれる晶だが、さすがにそれに対する賛成意見は一つも出ない。
 芳はシラーッと、明後日の方を向いてるし。
 凛は困ったように、お茶をすすり始める。
「な…なんだよー! どーして聞いてくんないのさー」
 いきなり静まりかえった周囲に向かって、晶が不満げに叫ぶ。

「タカビーな女王様でもけっこうだけど……」
 と、久住が、うんざりと口を開いた。
「それはもうカップル同士の趣味の問題ですから、お好きにどうぞって世界ですが。ただ、その結果、あなたみたいな締まりの欠片もない性欲垂れ流しの受けになってしまうなら、やっぱり芳のように常識や恥じらいが残っている方が俺としてはいいですね」
「誰が性欲垂れ流しだってぇ〜!?」
「あなたのことですよ、晶さん。全身フェロモン振り撒き状態じゃないですか。よくまあーそれで大地のヤツは食傷気味にならないもんだと感心しますよ。相手が恥じらってこそ、虐める醍醐味ってのがあるもんなのに」
「虐めるのはこっちだってー! 攻めは相手を悦ばせることさえ考えてりゃいいんだよっ!」
「俺は自分が悦ぶことしか、考えられないタチでねー」
「そんな自己中だから、兄貴に88回しか求められなかったのさ」
「言いましたねー。この尻軽男〜」
 と、不毛な言い争いは果てしなく続く。

「……と、好き者の二人は言ってるんが、こいつらの意見に耳を貸す必要はいっさいない」
 喧々囂々と続く騒ぎを無視して、芳は凛に語りかける。
「晶のマネをしようとしても、久住の言い分を聞いて相手に尽くそうとしても、どっちにしても君が壊れる。あの二人は並み以上だから。貴之君は紳士だ。こんな連中といっしょにすることはない」
「……あのぉ…」
 だが、凛はモジモジと言葉を濁らせる。
「うん?」
「貴之さんも…、並み以上みたいです」
「…………はい…?」
「なんか、貴之さんが言ってることとって、お二人が言ってることと似てます。足して2で割ると…、モロに……」
「似てる…? こいつらと…?」
「……はあ…。よくゆーんです。その〜、なんか、俺がフェロモン振り撒いてるから我慢できなくなっちゃうんだって…。で、ついつい止まらなくなっちゃうって――…」
「……あやや…☆」
 と、頭を抱える芳。

 瞬間――…、久住と晶の声がピタリとやんだ。
「ほう〜、趣味のいい」
 久住がニンマリとほくそ笑んだ。
「どこがいい〜? お前と同じことを言うってことは、かなり重傷の変態ってことだっ!」
「あー、ひどいなぁ、そのいい方〜」
「言ってやるさ。9年間のパートナーとして、お前はキッパリ変態だと言い切れる!」
「他の男なんか知らないくせに」
「大地を見てれば、お前が普通じゃないってことくらい想像がつく」
「あんな堅物と比べないでください」
「ちゃんと晶を選んで、今まで守り通してる。堅物なんじゃなくて誠実なんだ。お前には縁のない言葉だろう」
「……………」
 これには、当然久住も眉を吊り上げる。
 確かに自分は、誠実なんて言葉にも縁もゆかりもないし、また、そんな呼び方をされたくもないと思っているが。
 それを理由に、大地より下に見られるのは心外だ。
(本気であんなガキと比べてるなら、今夜はお仕置きだ〜!)
 内心の怒りを押し隠しつつ、横目で芳を睨んでいるが、
(また、何かお仕置きとか考えてるな〜)
 と、芳にはモロバレだった。

「とにかく、貴之君がこいつと同じよーなことを言うようじゃ、君の細腰じゃ堪えられなくなるのは目に見えてるな」
 他人事ながら、芳はマジで凛の身を心配してしまう。
「細い…ですかね…?」
「俺は、これでも高校剣道で日本一になった男だからね。少々の変態行為にも堪えられるけど。君は…、こう言っちゃ悪いが、有栖川家の一員にしては鍛え方が足りないんじゃない?」
「俺、演技はやってないから。舞台美術の勉強をしてるもんで」
「つまり、芸術家肌で、体力には自信がないってことか」
「……それが問題なんですぅ」
 凛も常々思っていたのだ。
 オリンピック選手級のフェンシングの腕前の貴之と、インドア派の自分では、鍛え方が違いすぎると。

「じゃー、俺と同じじゃん〜」
 そこに当然のように割り込んできたのは、晶だった。
「…は…?」
「俺だって高校から美術系で、運動は大っ嫌いだぜ。マラソンなんかやると、もーすぐにゼーハーしちゃうけど。SEXなら毎日でもオッケーだね」
「ちょっと待て! お前と比べるなってー」
 ピシャリと芳が晶の声を遮る。
「凛君は21歳にして初体験なんだぞ。バージン同然の彼と、幼稚園の時から男好きを自覚してSEXのテクを磨き抜いてきたお前と、いっしょにするな」
「だから、経験豊富な俺が受けのテクを教えてやるってー」
 晶の言葉に、凛はピクリと顔を上げた。
「やっぱり…、それなりに技術や経験がいるんですか…?」
「そりゃあいるさー。身体の中でも一番デリケートな器官に、無理矢理使用目的以外のことをさせるわけだから。最初は痛いのもしょうがないってー」
「で…でも……、じゃあ、俺って淫乱なのかも」
「うん…?」
「だって…、最初から……」
 と、そこまで言って、ゴニョゴニョと言い淀んでしまった凛。
 とたんに、晶は目を輝かせて凛の肩を抱き寄せた。
「感じちゃったんだぁ?」
「……う……☆」
 そんな、ズバリと言わないでよぉ〜☆
 ただでさえ、自分の乱れッぷりに落ち込んでるのに……。
 いや、確かに初体験は散々だった。
 てゆーか、散々だったかどーかもわからないほど、途中からは意識が飛んでしまっていて、痛かったのか、気持ちよかったのかも判別つかないってのが事実でー。
 でも、二度目には、すっかり慣らされていた凛のアソコは、喜々として貴之の男の証を迎えてしまったのだ。

「それって、相手が巧いんじゃないの? 経験値が高いとかさー」
 もう晶は興味津々だ。
「ものすごく高いです。ドンファンの名を欲しいままにしてたみたいだから。とにかく、とことん優しいし、俺がホントにイヤがれば無理はしないけど…」
「じゃあ、イヤだとは言ってるんだ?」
「言ってるつもりなんだけど…、なんか、いつの間にかズルズルとそーゆーことになっちゃってぇ…」
「あー、それはハマってるなぁ」
「え…?」
「文字通り、身体も精神もかなりハマってるよ」
「……それって…?」
「もー抜けられないなー。大丈夫、相手がそれだけ巧いんだったら、少々やりすぎても壊れやしないってー」
「でも…、痩せるほどじゃ……」
「痩せたってゆーより、引き締まったんじゃない。なんか、そんな感じだぜ」
 と、晶は楽しげに、凛の身体を触りまくる。
「うん。大丈夫、大丈夫。お肌の艶もいいし、筋肉にも弛んだ感じはないし、健康体だよ、十分」
 そこは、真性ゲイと自認する晶だから、肌艶を見ただけでどんなSEXライフをしているかまでわかるらしい。
「これでお仲間だね。真性でも後天性でも、同じ受け仲間〜。仲良くしようね〜♪」
 ガッシと一方的に握手をされてしまった、凛。
(ええっ〜、この人とと同じなのぉ〜!?)
 と、さすがに、ちょっと引いてしまった。
 だって、やっぱりそこは常識ってもんがあるから……。

「なるほど、嫌よ嫌よも好きのうちってヤツかな」
 と、芳が呆れ顔で呟いた。
「俺…、好きでやってるんですかぁ〜?」
「まあ、確かに、引き締まっただけって気もするし。なにより話を聞いてると、君は常識的なSEXってヤツに拘ってるだけで、愛し合うこと自体をイヤがっているわけじゃないようだし」
「……☆※▲◎♯●@□★〜!」
「言葉になってないよ」
「………………はい…☆」
「まあ、どれだけの周期でSEXをするかは人それぞれだから、毎晩でもかまわないけど。流される一方ってのは感心しないかな」
 今さら無粋な忠告をしても意味はないと思いつつ、お節介な一言をつけ加える。
 とたんに、隣で久住がボソリと呟いた。
「毎日やってる人が、言いますかー」
「俺は流されてやってるんだ。俺が愛してやらないで、誰がお前みたいな欠陥人間を愛してやれる?」
「はいはい。広いお心をお持ちで有り難いことです」
「いい心がけだ。感謝してるなら、今夜はお仕置きだなんて、くだらないことは考えるなよ」
「チェ…☆ バレてましたか〜」
「バレバレだってー」
 と、芳は苦笑する。
 こんな時、久住はホントに子供のように見える。
 芳の手の中で、いい子いい子と甘やかされている小さな子供。

(いいなぁ〜、やっぱりこの人って理想だなぁ……)
 凛は、うっとりと憧れの眼差しを向けてしまう。
 これが同等ということなのだと。
 どちらがどちらに依存しているワケでもない。
 久住は芳を求め。
 芳は久住を受け止める。
 有利とか不利とか関係なく、必要な方が甘え、余裕のある方が甘えさせてあげる。
(こんな人になりたい……)
 自分はすぐにイジケてしまうけど。
 貴之の勢いに押されて、オロオロしてしまうけど。
 でも、その貴之が、凛にだけは紳士の顔を崩して甘えてくれる。
 脳裏に、凛の腕の中に潜り込んでいるように眠っていた貴之の、無防備な寝顔が浮かぶ。
 きっと、こうしている今も、なかなか帰ってこない自分のことを心配していることだろう。

「俺、帰らなきゃ……」
 と、凛は席を立った。
「あれ、もう…?」
「うん。黙って出てきちゃったから。前にもそれで貴之さんを心配させたことがあったの、忘れてた」
「そうか。でも、ろくに相談に乗れなかったな」
「ううん。とってもいい意見聞かせてもらったから」
「そう…?」
 小首を傾げた芳は、何かを思い出したように、
「じゃあ、総菜を持っていきなさい。遅くなった理由がいるだろう」
 と、今夜のおかずにと作っておいた煮物や肉団子を、タッパーにより分けてくれる。
 まだ温もりの残っているタッパーを握り締めながら、凛は思う。
(できれば、この人みたいになりたい……)
 と――…。
 つまらない常識に縛られたり、反対に、勢いに流されてしまうだけでなく、自分の意志で愛を貫けるように。
 紳士の顔に似合わず、凛の前ではすぐに理性をなくしてしまう貴之を、強く優しく受け止めてあげられる男になりたい。
 ――間違っても、
「よかった、よかった。受けのテクが知りたけりゃ、いつでも教えてやるから、タカビーな女王様目指して頑張ってくれよ!」
 と、お気楽に笑う晶のようにはなるまい。
 たとえ芳と同じ顔とはいえど……。
 そう固く決心する凛だった。

       ◆◆◆

「どこに行ってたんです?」
 案の定、部屋に帰ったとたん、貴之が抱きついてきた。
「ごめんね。買い物ついでに、ちょっと芳さんのところに寄って、料理を教えてもらってたの。あ、お総菜もらってきちゃった。すぐにご飯にできるよ」
「……また、芳さんですか」
 と、貴之は顔を曇らせる。
「凛は…、芳さんが好きなんですね」
「あのねぇ〜☆」
「いえ、わかってます。お兄さんのように慕ってるのは。でも…」
 まるで手を放せば、凛がどこかに行ってしまうかのように、貴之はギュウッと凛を抱き締める。
「私は心が狭いんです。あなたの口から他の男の名前が出るたびに、嫉妬してしまう」
 まったく、これがホントに貴之だろうか?
 女泣かせのドンファンとして名を馳せた男。
 イギリス貴族の血を引く、完璧なジェントルマン。
 そのどちらの顔も、凛の前ではあえなく崩れてしまう。
 あとには、ただ恋に狂う男がいるだけ。
 でも、そんな貴之が可愛く見えてしまうのだから、凛の方もかなり色ボケしているのだ。
「バカだねぇ。俺は、ちゃんとここにいるのに…」
 抱き返せば、自分より二回りも大きなはずの貴之の身体が、妙に脆く感じる。
 これが恋するということ。
 これが愛しいということ。

(この人を守りたい――…!)

 だから、これ以上心配させないために、笑ってみせる。
「ね、ご飯にしよう」
「それより、凛が食べたい」
 耳元に落ちる、ハスキーヴォイス。
 でも、もう夕食の時間なのに。
(う〜ん、芳さんのところでお茶してきたから、いいかぁ…)
 それに、なにより、痩せたのではなく、引き締まったのだと、晶のお墨付きもあることだから。
「じゃあ、ちょっとだけね…」
 瞬間――…、貴之の顔に、パアッと喜びの色が広がった。
「でも、一度だけしたら、ご飯にしようね」
「わかってます」
 もう待ちきれないとばかりに、貴之は、寝室にいく間も惜しいと言わんばかりに、手近なテーブルに凛を押し倒した。

 引っ越してきて10日。
 初めて使われたダイニングテーブルで、美味しくいただかれてしまったのは、誰あろう凛自身だったのだ。

         END