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										 所領に戻るルイに連れて行かれたナギは、小さな家を与えられた。 
										 石造りの粗末な家だが、薬草作りに必要な竃や石臼、そして守弥が商取引で得た様々な薬、果ては外科手術用の器具まで用意されていた。 
										「これは…?」 
										 ナギは、案内役の蘭月に問う。 
										「守弥が集めたものだが、残念ながら使える者がいない。ここの医師は藪ばかりだ。麻酔薬一つ使えない。守弥がせっかく集めたのに、今まで宝の持ち腐れだった」 
										「では、手術が必要な時はどうやって? たとえば傷が化膿して、放っておけば命に関わる場合……」 
										 ナギの手は、すでに薬の瓶を確認し始めている。 
										 何ができるか? 
										 どれほどの治療ができるか? 
										 この未開ともいえる地で。 
										 と、思案していた時、蘭月がまさに未開の地にふさわしい答えを返してきた。 
										「古来からの方法さ。バッサリとぶった切る」 
										「――――!」 
										 戦いの絶えぬこの地では、手足の切断を余儀なくされる者も多いというのに、そんな大手術のさいでもコカの葉を麻酔に使い、朦朧としたところを切るという荒療治が平然と行われているのだ。 
										「野蛮な国さ」 
										「〈南〉でも外科手術は一部の者しかできません」 
										「お前は、その一部だろう?」 
										「…………」 
										 先から蘭月には素姓は知られている。 
										 わざわざ自慢げに答えることでもないと黙っていると、蘭月がコロリと話を変えた。 
										「ところで相談なんだが、百発百中の媚薬を作れるか?」 
										 
										 ガラガラガッシャ――ン☆ 
										 何かがハデに落ちる音に振り返った蘭月は、棚一段分の壺といっしょに床に転がっているナギを見つけた。 
										「何してる?」 
										「いえ…、あの……、足を滑らせました」 
										「けっこうドジだな」 
										 壺を拾うのを手伝いながら、再び蘭月は訊く。 
										「言ったろう、俺は男娼が生業でね。客を気持ちよくさせてやるためにあちこちから媚薬を買い集めてるんだけど、なかなか思うような効果のものがなくてね」 
										「そのお姿が…、何にも勝る媚薬ではございませんか?」 
										 焦りながらも、ナギは答える。 
										 決しておべっかではない褒め言葉に、蘭月は気をよくする。 
										「やっぱり正直だね、お前は」 
										 ドップリ自分の美貌に浸りきっている蘭月を前に、乾いた笑いを浮かべる以外、ナギに何ができただろう。 
										 
										    ◆◆◆ 
										 
										 ナギが、与えられた小屋に居を構えて1週間。 
										 どこからか医師だと伝え聞いたのか、ポツポツと患者が来るようになっていた。 
										 だが、何故か母親に連れられた子供ばかり。 
										(男は医者にかかるのをイヤがるんだろうか?) 
										 そこは戦う民だから、病気やケガを恥じるのかもしれない。 
										 と、思いながら薬の調合をしていた時、ノックの音もなくドアが開いて、巨大な男の影が部屋の中に落ちた。 
										 ようやく男の患者かと思い立ち上がったナギは、相手の姿を見たとたん、その場で地に伏した。 
										 
										「陛下…!」 
										 ルイだった。 
										 
										 供も連れず、出逢った時と変わらぬ褐色の肌をさらした姿に、陛下の呼びは仰々しすぎるが。 
										「かまわん、立て」 
										 許しが出ても、ナギは頭を垂れたままだ。 
										「話ができん。さっさと立て」 
										 苛立つ声に催促されて、ようようナギはルイのそばに立った。 
										 それだけで、胸が早鐘のように騒ぐ。 
										 恋の病だけは、ナギ自身にも治せぬものなのだ。 
										 
										「蘭月に聞いた。お前は外科手術もできるそうだな。よくは知らんが体を切り開いて病巣を取り出し、元通りの健康な体に戻すとか?」 
										 ルイは、即席の知識でナギに問う。 
										「はい」 
										「〈南〉や〈西〉でも、できるものはかぎられてるんだろう?」 
										「はい」 
										「でも、お前にはできる」 
										「……はい」 
										「はい……しか言えんのか?」 
										 だが、他に何を言えばいいというのだ。 
										 ルイはすでに〈北〉の王。 
										 奴隷の身に堕とされたナギでは、こうして眼前に立つことさえ不遜の極みと思っているのに。 
										「できるならできると言え」 
										 だが、命じられれば従うしかない。 
										「……できます」 
										 と、ナギは答え、ルイはニヤリとほくそ笑んだ。 
										(たいした者を手に入れた) 
										 あの日の出逢いは、神の采配だったのだ。 
										 ナギでなければ、ルイの命を救うことはできなかっただろう。 
										 ならば、それこそ自分が神に選ばれた証拠となろう。 
										 ただでさえ傲慢な男が、これ以上自信をつけてどうする? 
										 
										「必要な品があれば、守弥に頼め。お前はここで薬の研究をしろ。後で診療所にも案内する。重病人の治療をするだけでなく、他の医師達に技術を教えてやって欲しい」 
										 思いつくままに、ルイは要求を突きつける。 
										「私にできうるかぎりのことを」 
										「楽な仕事ではないぞ。藪ばかりだが、素直に〈南〉の医師に教えを請うような連中じゃない。患者も扱いにくい者ばかりだ」 
										「覚悟はできております」 
										「言っておくが、お前ほどの容姿の者は、ここではたいてい男娼と相場が決まっている」 
										「は……?」 
										「見目のいい医師などおらんということだ。患者は腕に覚えの荒くれ者ばかりだ。男娼に診てもらうのはイヤがるだろう」 
										「……あ…」 
										 ようやく患者が子供ばかりの理由がわかった。 
										 つまり、藪医者どころか男娼扱いされていたのだ。 
										 天から相手にされていなかった、そういうことだ。 
										 
										「昼間は医師として自由な活動を許す。だが、伊佐の求めがあれば、夜はあれのものだ」 
										 ルイの言葉に、ビクリとナギは肩を震わせた。 
										 この1週間、伊佐は姿を現さない。 
										「……伊佐様はどちらに?」 
										「しばし俺の居城に滞在する。これからの砂漠との付き合いに、詰めておくことは山積みだからな。ここに忍んでくることもあれば、お前を呼ぶこともあるだろう」 
										「……はい」 
										「否とは言わぬのだな」 
										「すべて、あなた様のご命令なれば」 
										「俺の命だと?」 
										 ルイは訝しげに眉根を寄せた。 
										「本当にそれだけか?」 
										 と、ナギの顔を覗き込む。 
										「毎夜、悦んで伊佐を咥えているように見えたぞ」 
										「そんな……」 
										「伊佐はそう言っている」 
										「………………!」 
										 言葉もなく、ナギはその場に崩れ落ちた。 
										 そんなナギを、ルイは冷たく見下ろしている。 
										「心に二人の男を住まわせるは、王に対する裏切りぞ」 
										 地に伏し、涙に暮れるナギを、何を芝居がかったことをと一瞥し、ルイはその場を離れた。 
										 しょせん〈北〉の男の目には、男の涙は軟弱者の印としか映らないのだ。 
										 
										 
										「フン、気に入らん」 
										
										 外に出たルイは、我知らず呟いていた。 
										 ナギは伊佐に与えたはず。 
										 それは当然の報酬で、伊佐がナギを粗末にあつかわぬかぎり文句を言う理由もない。 
										 それはルイの望み通りのはずなのに。 
										 なのに気に入らない。 
										 出逢いの時より自分しか見つめなかったナギの瞳が、今は同じ気持ちで伊佐を見ているかと思うと胸くそが悪くなる。 
										 かといって、伊佐に不満などあろうはずはない。 
										 あれはよくやってくれている。 
										 気に入らないのはナギの心なのだ。 
										 一度は、自分に愛を誓ったくせに。 
										 
										『我が王。すべてはあなたの者でございます』 
										 そう心からの誓いを立てたはずなのに。 
										 
										 一月もたたぬうちに、もう心は伊佐に揺らいでいる。 
										 それが腹立たしい。 
										 王を心の恋人と決めたからには、その気持ちが揺らぐことなどあってはならないはずだ。 
										 どれほど伊佐が、ルイをも魅了するほど偉丈夫だとしても、王への誓いが覆されることなどあってはならない! 
										 
										 と、つまりは単なるヤキモチなのだが。 
										 ルイは、ついぞそんなものを感じたことはなかったから、自分の苛立ちの意味がわからない。 
										 だから、責任をナギに転嫁する。 
										「しょせん〈南〉の者は不実だということか」 
										 勝手なことを抜かして、ルイはその場を後にした。 
										 その呟きをナギが耳にしなかったのは幸いだった。 
										 もしも聞いてしまったら、首をかっ切ってでも想いの丈を証明しようとしただろう。 
										 長の年月、虜囚として生きてきたナギの純情を理解するには、ルイはあまりに束縛ということの意味を知らなすぎた。 
										 
										 その日、日照り続きだった〈北〉の地に待望の雨が降った。 
										 まるでナギの心を映した涙のように……。 
										 
										    ◆◆◆ 
										 
										 夕方から降り出した雨は、夜には本降りになっていた。 
										 その頃、光輝は珍しく自らの屋敷にいた。 
										 何が珍しいかというと、いつもなら夜伽の相手を求めて外出している時刻だからだ。 
										 だが、今夜は雨が光輝の足を留まらせていた。 
										 このところずっとルイの王位継承問題に関わっていて、恋をしている暇もなかったから、わざわざ雨の中を出向いてまで逢いたい相手がいるわけでもない。 
										 屋敷にいる誰かで間に合わせようかと思案を巡らす。 
										 だが、屋敷の者は公平に扱わないと嫉妬絡みの諍いがおこる。 
										 味方する者は、信頼の証に。 
										 敵対する者は、自分が強者である証に。 
										 光輝を組み伏し、己がモノで貫きたいと望む者は、それこそ敵味方問わず腐るほどいるから、彼を巡る男達の鞘当てはけっこう苛烈なのだ。 
										 時には、生き死にの決闘までに至ったことすらある。 
										 モテる男の悩みはけっこう深刻なのだが、光輝はそれさえ楽しんでいる。 
										「ここんとこ、ご無沙汰だったのは誰だっけ?」 
										 手酌で酒を呑みながら、必死に思い出そうとする。 
										 こんなことにしか頭を使わない男だった。 
										 
										 そこへ、侍従の者が、約束のない客の到来を告げに現れた。 
										(ラッキー♪ 誰だが知らないが、わざわざ雨の中を来てくれたんだ。サービスするぜ) 
										 こんな夜に出向いてくるからには、てっきり温め合う相手を求めてのことだと思っていたのに、侍従の後ろから姿を現したのは、まったく意外な男だった。 
										 
										「氷雨…!」 
										 
										 残念、やっぱり今夜は屋敷の者で間に合わすしかない。 
										 長年対立してきた〈黒〉の族長、氷雨の用事がそんな色っぽいものであるはずがない。 
										 濡れたマントを侍従に手渡すついでに、氷雨は鋭い視線で場を外すように促した。 
										 ムッと、侍従の男が顔をしかめる。 
										 それもそのはず、対立云々を除いても、〈黒〉の一族は常に仕込みナイフを隠し持った暗殺集団でもあるのだから。 
										 そんな怪しげな男を、光輝と二人っきりになどできるはずがない。 
										「いいから行け。ルイが王になった今、〈北〉の中で争う意味はない。それに氷雨はルイに票を投じてくれた男だぞ」 
										 光輝は、敵対する者に容赦はしないが、いったん味方に転じれば、それまでの禍根は残さない。 
										 サバサバしていると言えば聞こえはいいが、ようは恨みを覚えておくだけの頭がないのだ。 
										 つまり単細胞ってことだ。 
										 光輝にいさめられて、侍従は渋々部屋を出ていく。 
										 
										「わざわざお前が俺の屋敷に来るとはな。雨になるわけだ」 
										 光輝は軽く笑い飛ばし、酒を勧める。 
										 が、氷雨は杯に手を伸ばしさえしない。 
										「毒などもらんぞ」 
										 苦笑し、光輝は一人、杯を空ける。 
										「で、わざわざ雨の中、何の用だ?」 
										 訊いたところで、氷雨が答えるはずもない。たぶん文の類でも出すのだろうと、酒を呑みながら氷雨の動向をうかがう。 
										 氷雨は冷めた目で光輝を見据え、そしてゆっくりと、しばらくぶりで唇を開いた。 
										 
										「今宵一夜、伽の相手を」 
										 
										 ――その瞬間、 
										 光輝は、口いっぱいに含んでいた酒を思いっきり吹き出した。 
									 
										
										
										                                  to be continued 
										 
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