第三章 第五回


 ――ここは伊佐の天幕。
 蘭月と擦れ違いに、伊佐が戻ってきた。
「今、出ていったのは蘭月か?」
 入ってきたとたん、ひどく不快そうに言い放つ。

 今はまだ、ようやくルイの元に〈砂漠の民〉と〈北〉が一つになろうしている最中。
 伊佐も〈北〉の者と余計な諍いをおこす気はないが、相手が蘭月となると、落ち着いてばかりはいられない。
 ルイの教育係でもあり、さらに〈北〉でもっとも美しい男娼なのだから、どんな搦め手を使ってルイを誘惑しているかと思うと気が気ではないのだ。
 そこは激情型の砂漠の戦士だから、ルイが王として誰をも公平に扱わねばならぬ身分であるとわかっていても、独占欲は消せないのだ。

「……お薬をいただきました」
 伊佐の怒りを見て、ナギは蘭月から貰った物を差し出した。
「薬…? 医師のお前に?」
 伊佐はナギの手から、薬袋をもぎ取り、中に入っている薬草を確かめる。
「なるほどな」
 ニヤリと笑い、納得する。
「今夜、使ってやろうか?」
「…………」
「だが、お前にはもっとよく効く媚薬があるな」
 ハッと、ナギは顔を上げた。

「元気だったぞ、俺の王は」

 わざわざルイが自分のものであるように、伊佐は言う。
 それが、ナギを羨ましがらせると知っていて。
「朝から会議で退屈しきっていたがな。別れ際に一発やってきた」
 むろん、それはウソだ。
 それでも、ナギをうろたえさせるには十分すぎる効果がある。
「知りたいか? ルイがどうやって俺を受け入れるか?」
 伊佐の挑発めいた言葉に、ナギは顔を赤らめる。
 未だ、この男のあけすけな物言いには慣れない。

「この手は、ルイを抱いた手だ」
 伊佐はナギを引き寄せる。
「この舌は、ルイを味わった舌だ」
 伊佐はナギに口づける。
 そこに、ルイの匂いが残っているような気がした。
「ルイのように抱いてやろうか?」
 伊佐は、今やナギにとって自らの分身であった。
 たぶん二度と再び触れ合うことのできぬ、愛しいルイを感じさせてくれる唯一の男。
 伊佐の腕の中で、ナギはルイの愛撫を感じ。
 ナギを抱きながら、伊佐はルイのフリをする。
 どちらも部族の長たる美丈夫。
 砂漠を駆け、
 戦いに生き、
 そして、戦いの中で死ぬる運命の男達。
 あまりにルイに似た男に、依存するなと言う方が無理だ。

 砂丘の向こうに、太陽が最後の光を放って姿を隠し、闇がオアシス都市を覆う頃。
 ナギと伊佐の上に、愛と憎しみが交差する長い長い夜が始まる。

    ◆◆◆

 砂漠は静かに夜の帳に包まれていく。
 ルイは光輝を伴って、楼閣の最上階の物見台にいた。
 退屈なだけの会議から解放され、恋人との甘い時間が始まる。
 光輝の身体は、ルイの知るどの男より熱い。
 守弥の仲介で出逢った時、一目で恋に落ちた二人は、1週間もの間、片時も離れることができなかった。
 どれほど貪り合っても飽きない相手がこの世にはいるのだと、その時ルイは知った。
 光輝こそが、自分にとって最上級の恋人だと。

「頼まれ物、渡してきたぞ」
 そこへ、せっかくの楽しみをぶち壊す、お邪魔虫の声がした。
 ムッとルイの顔が不快に歪む。
 いつの間に来ていたのか、蘭月が呆れ顔で立っていた。
「乳くり合うのはけっこうだが、砂漠の夜は冷えるぞ。俺としては中に入ることを勧めるが」
「いちいちうるさい男だ」
「俺がうるさく言わなければ、誰が言う? ついでに言わせてもらえるなら、明日の会議の準備とやらもしておきたいんだが」
「そんなのお前がしろ。ついでに議長もやってくれ」
「ムチャを言うな。俺は族長じゃない。必要以上にしゃしゃり出れば皆の反感を買うだけだ」
「それがダイモーンに選ばれし者の言葉か?」
 ルイは、皮肉に口元を歪めた。
(この野郎〜。つまらんことに拘ってやがる)
 チッと、蘭月は心の中で舌打ちする。

 蘭月は、帝王学を施されずに育ったルイのために、守弥が選んだ教育係だ。
 三大王家の歴史、作法や慣習、王たる者の権利と責務。蘭月が現れるまで〈北〉にそんなものを教えられる人間など皆無だった。
 ――だが。
〈西〉の王家の血筋リード・白蘭と、南の王家の血筋ルイ・八束、先祖をたどれば縁続きである二人は、実はひどく仲が悪かった。
 男癖の悪いルイが、これだけ頻繁に顔を合わせていながら、ただの一度も手を出そうとしない。
 そして、男娼でありながら、蘭月もまた、ルイを誘惑しようなんて気になったこともない。

『出逢った瞬間、ビシッと火花が散ったのが見えたぞ』
 と、守弥は他人事のように笑っていたが。

 蘭月にしてみればいい迷惑。
 光輝や守弥がルイに組みする理由もわかるし、〈北〉を束ねていくにはルイほどの傲岸さが必要とはわかっている。
 微力ながら、望まれれば協力は惜しまないつもりではある。
 が、それにしてもルイには品格がなさすぎる。
 中立を保つ〈西〉の王家は、芸術や学問を奨励し、王家随一の優雅さと気高さを誇ってきた。
 そこで14の歳まで王族の一員として、あらゆる教育を施されてきた蘭月から見れば、裸で野山を駆け巡るルイなど、ただの夜盗の頭領程度のものでしかないのだ。
 いいかげん子供っぽい我が儘は慎んでもらいたい。
 それが蘭月の本音だった。

「お前が王だ。それは皆が決めたこと。俺は教育係として自分の責任を果たすまでだ。王たる者の自覚があるなら、せめて族長達の要望書に目をとおしておけ」
 いつまでたっても光輝への悪戯をやめようとしないルイを前に、ついつい語気も荒くなる。
「字もろくに書けん連中の要望書など、読むのだけで一苦労だ」
「では、読んでやる。そこで聞いていろ」
「恋人との語らいには不似合いだ。そんなことより歌の一つも歌え」
「お前に聞かせる歌など知らぬ」
 一事が万事この調子だ。
 つまり、伊佐の嫉妬などまったく意味がなかったのだ。

「おいおい、喧嘩はやめろよ」
 と、諍いをおこす天才の光輝が、二人の間に割って入る。
「なんでそう、寄ると触ると喧嘩になるかな〜。ちっとは大人になれってー」
 ルイと蘭月は、カッと光輝を振り返るなり、
「てめーにだけは言われたくねーよっ!」
 と、声を揃えて怒鳴ったのだ。

(なんだよ、そんなところだけ仲いいのな〜)
 オヨヨ〜と身を引く光輝だった。

    ◆◆◆

 ――再び、伊佐の天幕。

 伊佐は、ナギの身体に自らの手でつけたキズに舌を這わせた。
 囚われし者への憐罠の情を恋人への優しさにすり替えて、流れる血を丹念に嘗め取る。
 その唇の下で、ナギの吐息は荒い喘ぎに変わり、意志に反して身体は震え、より強い快感を求めてわなないていく。

 長の年月、幽閉の身に甘んじていたナギにとって、虜囚の辱めを受けることは、さして負担ではなかった。
 外の世界は広すぎる。
 砂漠は果てなく。
 空は高く。
 見つめていると目眩さえしそうになる。
 自分を戒める腕の中にいる方が心地いいと思うほどに、ナギは束縛され所有されることに依存していたのだ。
 何も自分で決断しなくていい。
 相手の望むままに尽くせばいい。
 それが、いつの間にかナギの習い性になってしまっていた。
 すでに冷酷な伊佐さえも、恐怖の対象ではなかった。
 鞭打たれ、責め苛まれることさえ、伊佐の瞳に捉えられ、伊佐の腕で加えられるものならば、つらくはなかった。
 さらに、荒々しい男には似合わぬ優しさでもって抱き締められれば、すべては甘い夜の密事に変わった。

「欲しいか、俺が?」
 伊佐の問いに、ナギは力なく首を横に振る。
「欲しいと言え!」
「お許しを……」
「言わないか!」
 怒りに燃えて伊佐は自分の猛々しいものを、ナギの白き双丘の間の秘められた門に押し当て、すっかり準備のできたそこを深々と穿つ。
「ああ……」
 小さく喘いだナギの両目を、涙が覆う。
「どうぞ…お許しを……」
 悲痛な懇願が、やがて悦楽の嬌声に変わるまで、伊佐は際限なくナギを貫き続ける。

 少女であった時の感情に縛られながら、ナギは想う。
 褐色の王の黄金の髪と厚い胸を。
 そして一方で、少年として焦がれる。
 伊佐の漆黒の髪と一粒の黒真珠の瞳を。
 以前においては、少女と少年の心に引き裂かれ。
 今は2人の想い人に引き裂かれている。
 常に一つになれぬ心を嘆く。
 そんなナギの涙を目にし、伊佐は微笑んだ。
 ついに復讐はなされたと――!
 そして、ナギが絶頂を迎えようとするまさにその時、言った。

「俺は決してお前を愛さない。生涯恨みぬいてやる!」

 身体を貫く歓喜にむせびながら、ナギは心で泣いた。
 決して手に入らぬものを、この先求め続けていくだろう自分の運命を泣いた。
 二度と再び抱き合えぬ王を忘れることもできず。
 自分を憎み続ける男に魅かれることもやめられず。
 そしてまた、伊佐の計り事のすべてをわかっていながら、淫らに喘ぐ己が身体の貪欲さを恥じた。

「ああ…、残酷なお方――…」
 恐れながら、嘆きながら、愉悦に身悶えるナギを、伊佐は満足げに見下ろしていた。

 甘い復讐は夜毎に繰り返され。
 伊佐の天幕から、すすり泣くような、でも抑えきれずに溢れ出すような喘ぎ声が聞こえぬことはなかった。
 それは、夜半、月が中空に昇るころ、長く響く歓喜の悲鳴となってようやく闇に溶けて消えるのだ。

 ――族長会議が終わり、皆が再び〈北〉へ砂漠へと散っていくまでの20日の間、その声が止むことはついになかった。

        to be continued