第三章 第一回


 砂漠に命を注ぐオアシスの都。
 その名も麗しき〈緑の聖地〉にて、〈北〉の民と〈砂漠の民〉の総意によって、ルイ・八束が王に選ばれた日。
 賭けに勝った者、負けた者、それぞれに想いを抱きながら、夜は静かに更けていく。

 ――王の寝所にて。
 ルイと伊佐は、砂漠独特の織物で彩られた褥に、一糸まとわぬ姿で横たわっていた。
 伊佐は、数日来の疲労のせいで眠りの虜になろうとしているルイの身体に激しく自分のそれを重ね、夢の精霊から強引に奪い返している。
 そんな伊佐の尽きせぬ欲情を、ルイは半濁する意識の中でも、王たる者の寛容さで受け入れるのだ。

 王位継承候補としてダイモーン・青龍から指名を受けて半年。
 ようやく最初の関門を抜けたルイは、安堵の寝息をたてながら両手両足を大きく延ばし、恋人の口づけを身体中に受けながらゆったりとまどろんでいる。
〈北〉にも〈砂漠の民〉にも知られぬように。
 守弥にも光輝にも悟らせずに。
 ルイと伊佐の間でだけ交わされてきた密約が、ようやく成就したこの輝かしい日、愛し合わずに何をする?

 その間の伊佐の苦労は、実際、生半可なものではなかった。
 砂漠の意志を一つにまとめるため、伊佐は長達を訪ね、族長会議の最後の決定を自分に委ねてくれるように平身低頭説得して回った。
〈ハヤブサ〉の伊佐としてのプライドを捨て、あまり仲のよろしくない相手にまで頭を下げて。
 そんな伊佐の行動の裏に並々ならぬ決意があることを、砂漠の族長達は気づいていた。
 唯一、砂漠の将来を委せられると見込んだ男が、自分のすべてを賭して何かを仕掛けようとしている。
 妻、花梨を失って以来、気落ちしていた伊佐が見事に蘇り、命懸けで何かを成し遂げようとしているなら、その意志を尊重しよう。
 と、長老達は話し合い。
 また、若者達をも説得したのだ。
 それがなければ、ルイを選んだ伊佐の決定に、砂漠の族長すべてが従うことはなかっただろう。
 きっと、誰かしら造反者は出たはずだ――…。

 その労に報いるために、今、ルイは己のすべてを与えている。
 恋人にだけ捧げるものを。
 身体を、愛を、信頼を。
 過去、あまた男遊びを繰り返してきたルイが、それでも光輝にしか与えたことのない本当の恋人としての誓いを。
 決して裏切らず、軽んじず、どんな時にあろうと、たとえ伊佐の大刀がルイの首にかかろうと、その手に身をゆだねるという誓いだ。

「こんなキズをつけやがって……!」
 伊佐は、忌々しげに吐き捨てて、ルイの肩に口づける。
 もしかしたら、伊佐の夢もろともルイを消し去っていたかもしれない傷痕に。
「あんな〈南〉の小僧と、いったいどこで遊んでたんだ!」
 人の心配を知りもせず、ノコノコと帰ってきたルイが連れていた者を見たとたん、ホントにルイを信じていいのかと、伊佐は一瞬だが疑ったものだ。
 仲間を殺し、自分の左目を潰した少年を、何故連れているのかと。
「お前は、軽率すぎる!」
 一人で敵地に足を踏み入れたり、敵か味方かもわからぬ尻軽な男娼に警戒心も抱かずついていったり。
 あげくに、伊佐に不信の念を植えつけかねない、あんなものを連れて帰ってくる。
「己の立場をわきまえろ」
「怒るな。ちゃんと戻ったんだ」
 だが、どんな目にあっても、ルイはルイだった。
「そんなに心配なら、一時たりとも目を離すな。お前がずっとそばにいないのが悪い」
「俺は砂漠の人間だぞ。そうそうお前ばかりを見張ってられるか」
「これからは〈北〉に来る用も増える。お前には、砂漠と〈北〉との架け橋になってもらわねばならんからな。そのたびに、俺を悦ばしてくれるのだろうな、ちゃんと」
 と、悩ましげな視線で誘ってくる。

(この男娼がぁ〜!)
 怒鳴る代わりに、伊佐はルイを貫いた。
 望み通りに。
 望まれるままに。
 この半年、遊びのような愛撫を繰り返してはきたが、本当の意味で身体を繋いだのは、これが初めてだった。
 それが最初からの約束だった。
 ルイが王に選ばれた時にこそ、すべてが伊佐のものになると。

「俺は死なない」
 喘ぎ乱れた息とともに、ルイは吐き出す。
「そんなことがどうして言える? 死神だけは誰にでも公平に訪れるものだ!」
「俺のところには来ない」
「何を根拠の自信だ?」
「俺が死んだら〈北〉が変われないからだ。時代に選ばれた者は、役目が終わるまで死なんものさ」
「自惚れだ…!」
「当たり前だ。自惚れずに、どうして王位など望める!」
 両足を開いた淫らな体位で男に貫かれながら、これでもかというほど傲岸に、ルイは言う。
「誓ったはずだ。俺は〈北〉の王になる。そして先陣を切って砂漠を越え〈南〉を落とす。行く道はお前が示せと」
「お前など、誓い半ばでポックリ逝きかねん!」
「ちゃんとここにいる。確かめろ! 神が俺を選んだ証拠だ」
「――――!」
 目が眩む。
 目の前にさらされる褐色の身体に。
 男を身の内に呑み込み、男娼のごとき痴態をさらしながら、それでも卑屈にはならぬ、その精神に。
 どこまでも、超然と支配者たらんとする男に伊佐は酔いしれ、激しく腰を振るう。
 伊佐は自分の内に外にルイを感じ、ルイもまた、自分の外に内に伊佐を感じた。
 王となった者の中に自らを埋め込み、熱い吐息とほとばしりに濡れた瞬間、伊佐は知った。
 自分が、どれほどのものを与えられたか。
(これが…、これが本当に俺のものか――?)
 悦びと驚愕の中で――…。

 ベッドの軋みと荒い息が、乱れ飛ぶ中。
 ナギは、部屋の片隅で身を震わせながら、ベッドの上で繰り広げられる光景を、畏敬の念さえ持って見つめていた。
 男の生命力を、欲望を、ギラギラとみなぎらせながら睦み合う、二匹の獣の姿を――…。

       ◆◆◆

 朝、射し込む光の中で、伊佐は傍らに眠るルイを見つける。
「おい……」
 と、声をかけても、眠りの岸辺に囚われているルイは、わずかに身じろぎするだけ。
 もしもここに一振りのナイフがあれば、確実にその寝首をかくことができるだろう。
 むろん、伊佐にそんな気はさらさらないが……。

 ルイに惚れたその瞬間から、この男に命を懸けると誓った。
 この男の夢についていこうと思った。
 たとえ、それで裏切り者の誹りを受けることになろうとかまわないと覚悟の上で、伊佐はルイへの票を投じたのだ。
 大多数の族長は、形だけは伊佐の決定に従ってくれた。
 だが、中にはミノスに多大な賄賂をもらっている輩もいる。
 伊佐の台頭を忌々しく思っている者もいる。
 ルイに恨みを抱いている者は、さらに多い。
 これからが正念場なのだ。
 私利私欲に走ろうとする族長達をまとめ、ルイの下に決起させなければならない。
 どれほどの困難があろうと、やらねばならぬ。
 砂漠を越え、〈南〉を攻め滅ぼすために。
〈南〉のために命を落とした数々の仲間や、潰された左目の仇などという私怨のためではなく。
 今はまだ、飢えと戦火の中で生きるしかない幼子達のために。
 そしてまた、これから生まれてくる命のために。
 豊かで平和な生活を作るのだ――!

「お前に懸ける」
 呟いて、伊佐は、ルイの王冠のごとき髪に深く口づける。
 我が王。
 我が恋人。
 この命を捧げる。
 お前の夢と、お前の人生のために。
 いつか戦場で、お前の盾となって倒れることはあっても、その逆はありえない。
 愛しき者よ!
 生涯を誓った妻、花梨亡き今、恋人と呼べる者は後にも先にもお前一人だけと知れ。

〈砂漠の民〉は、決して恨みを忘れない。復讐は必ず成さねばならぬ死者への供養だ。
 しかしまた、生き抜くことが何より優先される彼らである。
 いったん同盟の誓いを神の名の下に交わし、友好の杯を重ねれば、数年来の知己のごとく心打ち解け、けっして裏切らざる者ともなる。
 ルイは伊佐にとって、そういう者になったのだ。

 だが、一方で、未だ恨みを消せぬ相手もいる。
 伊佐は、ゆっくりと部屋の隅に視線を巡らした。
 そこに、気絶するように眠り込んでいるナギがいた。
 忘れはしない。
 仲間を殺した者。
 自分の左目を潰した者。
 一つ残されたこの瞳に、焼きついて消えぬ者の姿。
 ようやく見つけた――!

「……ん……?」
 傍らにいた男が殺気を丸出しにしたことで、ルイは安穏とした眠りから目覚めた。
「……伊佐……?」
 名前を呼んでも、昨夜激しく愛し合った男は、今は憎悪に燃えた目で部屋の隅を凝視している。
「伊佐!」
 再び呼ぶと、ようやく伊佐は振り返った。
 だが、その瞳の険しさは消えていない。
 意味ありげな笑みを浮かべた口元が開き、ルイに告げる。
「お前に忠誠を誓った者に、褒美をくれるか?」
「………褒美…?」
 身体は与えた。
 心も与えた。
 だが、伊佐は、長の年月続いてきた〈北〉と〈砂漠の民〉との諍いに終止符を打った功労者なのだ。
 それ相応の褒美は当然のこと。
「何が欲しい?」
「奴隷を一人」
 だが、伊佐の望みは功労に似合わぬほど些末だ。
「奴隷を…?」
 訝しげにルイは繰り返し、伊佐の顔を見つめる。

 自分の愛した黒真珠の瞳を。
 それは、かつては左右揃いの見事な対の宝石だった。
〈南〉の虜囚と成り果てていた時、鞭の一振りで永遠に失われ、もはや再び取り戻すこともかなわぬ。
 その潰された目の傷痕を、ルイは眺めやった。
「奴隷か……」
 低く呟き、伊佐の想いを推し量る。
 その言葉の意味するところが、わからぬほどバカではない。
「誰が欲しい?」
 だが、あえて訊く。
 無論、答えは一つ。
 伊佐の視線が、再び部屋の隅で寝入っている少年に向けられる。

「ナギを――…!」

 今は右だけになってしまった瞳は、憎しみと、ようやく復讐を成就させる時が訪れたことへの希望に、輝いていた。

        to be continued