第二章 第七回



 伊佐を狙って待ち受けていた暴漢達は、あまりに意外すぎる展開に、いっせいにルイを取り囲んだ。
「お前…、砂漠の者を庇うか?」
「誰であろうと俺の客だ」
 ルイは、その逞しい褐色の身体で伊佐を守るように立ちはだかると、腕を落とされ、獣のように唸りながら地べたを転げ回る男を、フンと鼻を鳴らして一瞥する。
「うぬらこそ、どこの手の者だ? 俺が何者か知った上で、狼藉を働くか?」
「…………」
 だが、答えはない。
「まさか、俺が誰か知らんと、とぼけるわけではなかろうな」
 再度の問いに、暴漢どもは、剣を振り上げることで応えた。
 それは、ルイに対抗する部族の者だという証拠だ。

「名無しの者なら、容赦はせん。斬り捨てる」
 低く地を這うルイの声。
「俺の土地で、俺の客に無礼を働く者を許しておくほど、俺は甘くはないぞ」
 カッと輝く銀灰の双眸。
 褐色の顔に、ゾッとする笑みが浮かぶ。
 筋肉の鎧に覆われた巨体は、驚くほど軽々と空を舞い、無頼漢達に向かって剣を閃かした。
 次の瞬間、正面にいた男の額が割れる。
 飛び散る血潮の中、ルイは視線を真っ正面に定めたまま、ブンと弧を描くように横に凪ぎ払い、左右の男の肉を服もろともに裂く。

「グギャアアア――――…!」
 無様な悲鳴とともに、一瞬で3人の男が地に伏した。

(この男――…!)
 伊佐は、声もなくその場に佇んだまま、喜々として剣を振るうルイを見つめていた。
 つい先刻まで、香料を塗りたくる伊佐の手に感じていた男の艶めいた姿など、どこにもない。
 これこそ、ルイ・八束だ!
 過去、幾度もまみえた戦場で、常に先陣をきって挑んできた男。
 王冠のごとき金の髪を翻し、白馬を駆る、褐色の鬼神。
 死に神さえも避けて通ると恐れられた男が、今、目の前にいる。
 ――蘇る、過去の戦いの数々。

 伊佐の初陣は15の歳。
 やがて砂漠の部族長となる者としての責務を負っての、堂々の出兵であった。
 その頃、すでにルイも戦闘に参加していた。
 同じ年頃の少年兵には、否応なしに目がいく。
 それが、いずれ自分のライバルとなるやも知れぬと思うからだ。
 だが、ルイは、目立たない少年だった。
 妙にすばしっこい、逃げ足の早いのが取り柄だと。
 見事な金髪は目に映えるが、だが、それだけの、どこにでもいる雑兵だと、部族の期待を一身に担った伊佐は、やがてルイのことなど目にも留めなくなっていた。

 それが、いきなり頭角を現したのは4年前。
 守弥が、ルイ・八束は〈西〉の王族の血を引き、王位継承権を持つものだと〈北〉全土に発布した時からだ。
 それまで守弥の命で渋々と羊の皮を被っていた男は、いきなり獅子の本性を剥き出しにした。
 19歳、血気盛んなルイの本領が発揮された時、
(あれが王族だと?)
 と、侮っていた伊佐の部族は、ルイ1人のために壊滅的な打撃を受けた。
 その時の戦いで、伊佐は従兄弟を失った。
 一度は目に留めた存在でありながら、ルイの内に秘められていた能力を見抜けなかった己のミスだ。

 以来、何度となく伊佐はルイと剣を交えてきた。
 勝ったことは一度もない。
 ルイが現れれば、神出鬼没と恐れられる野党集団〈ハヤブサ〉でさえ引くしかない。
 守弥は、恐ろしい守りの要を育てていたのだ。
 その男が2年前、砂漠と接する領地を守弥から受け継いだ。
 そして、今また、王位継承候補として指名を受けた。
 神さえ味方する男が王座に就けば、もはや砂漠に勝ち目はない。
 ルイの軍門に下るか。
 ミノスと手を組んで、ルイを追い落とすか。
 いっそ相打ち覚悟で命を狙うか。
 それしか〈砂漠の民〉が生き延びる手だてはない。
 ルイを説得できなければ、自刃覚悟で、この地に踏み込んだ。

 和睦など、自分で口にしていてさえも、白々しいだけの夢だとはわかっていた。
 それは、砂丘の彼方に揺らめく蜃気楼のようなものだ。
 見えているのに、決してたどり着くことはできぬ、幻。
 そんなものだと――…。

 ――だが。
(うつけどころか、こいつは史上最大のアホウだ…!)
 と、伊佐は心で唸る。
 目の前に、蜃気楼ではない現実の鬼神がいる。
 宿敵であるはずの伊佐を庇い、自分の同胞を叩き伏せる男などどこにいる?
 だが、ルイの剣は止まらない。
「あわわ〜!」
 と、情けない声を発して、残った一人が逃げを打つが、ルイはもはや戦意さえも喪失したその男すらも容赦なく切り裂いた。
〈北〉の男にとって、敵から逃げようとして背中に太刀をあびることほど不名誉なことはない。
 たとえ命長らえても、生涯、臆病者との誹りを受けねばならない。
 ルイは止めとばかりに、男の背中から心の蔵を貫いた。
「せめて、この場で息絶えることを、感謝せよ」
 そう言って、剣を引き抜いた瞬間、男の背中からほとばしり出た返り血がルイの褐色の肌を染めた。

 ジワジワと地面に広がっていく血だまりの中に立って、ルイは、ニタリと笑った。
 
「さっさと去ね。俺の土地をこれ以上不浄の血で穢すな」
 背後で伸びている男達に吐き捨てるが、半死半生の彼らの何人が、その声を聞くことができただろう?
「さて、邪魔者はいなくなった。行くぞ」
 と、再び愛馬に跨るルイに、悔恨の表情など欠片もない。
 さりとて、伊佐に対して、俺が守ってやったんだぞと見せつけるような恩着せがましい態度もない。
 自分に従わない者は、斬って捨てるだけ。
 ここはルイの土地。
 ルイの支配する場所。
 そして、ルイこそが唯一の法なのだ!

 それを見せつけるために与えた罰にしては、少々…、いや、多分にやり過ぎの感もなきにしもあらずだが。
(こんなモンを相手に戦っていたのか、俺は……)
 王となる運命を持って生まれた男の、あまりの傲慢さに、伊佐は呆れるのを通り越して感心してしまった。
「俺のために同胞を斬って、後々禍根は残らんのか?」
「誰が? 俺の土地で、俺に剣を向ける者を赦しておけるほど、俺が寛容だと思うか?」
「お前の価値観は、よくわからん」
 と、言いつつも、その実わかりすぎるほどわかっていた。
 つまり、おいらが大将でー。
 お前ら、黙って言うこと聞いてりゃいいんだよ。
 ってことねー。
 
 伊佐だって、俺様な男だと自負していた。
 が、これが逆の立場なら。
 ルイが自分の客として砂漠にやって来て、それを、たとえ部族は違えど〈砂漠の民〉が狙ったら、止めきれる自信はない。
 恨み骨髄に達する男を守るために同胞と戦い、ましてや切り捨てるなどできようはずがない。
 だが、ルイは平然と…、いや、楽しみながらやってのけた。

(こいつは鬼神ではない。死に神だ……!)
 とんでもない男を相手に戦っていたのだと、今さらながら思い知る伊佐だった。

「連中、どこの者だ?」
 と、問う伊佐に、ルイは知らんと首を振る。
「ミノスの側の連中かもしれんぞ。お前の領地で俺が死ねば、お前は卑怯者の汚名を着せられる」
 ルイはしばし空を仰いで、考え込んだ後、
「なるほど。そーゆー考え方もあるな」
 と、他人事のように言った。
「まさか、本当にどこの者か知らずに、あそこまでやったのか? お前に組みする部族の手の者だったらどうする?」
「俺に組みするなら、俺の言葉は絶対だ。わざわざ俺の土地に入り込んで狼藉を働くなど、愚の骨頂」
 その言葉通り、敵なら斬り捨てるに何の躊躇いもないし。
 味方なら、許されるべきもない暴挙なのだろう。

「だが」
 と、伊佐は嘆息する。
「確実に半分は死んだぞ」
「たぶんな。手を抜いてはやったのだが。血の匂いを嗅ぐと、剣が勝手に走って困る」
 ルイは、愛馬の鞍にぶら下げた剣に視線を落とす。
 それは、守弥が、わざわざ〈西〉の鍛冶屋に造らせたものだ。
「見事な切れ味だな」
「守弥の土産だ。〈西〉は最高の製錬技術を持っている」
「獣に、そんな玩具を持たせるもんじゃないな」
「砂漠の獣がそれを言うか? お前の大刀だって、かなりヤバイ代物だぞ」
 伊佐ご自慢の大刀は、大の男の首くらい軽く叩き落とせる名刀だ。
「残念ながら、持ち込めなかった」
「そうだな。守弥がよけいな条件などつけるからだ。おかげで、余分な汗をかかされたぞ」
 と、息一つ乱さずに言われても……。

「なあ、伊佐よ」
 振り返った銀灰の瞳に、さっきまでの凶暴な色はない。
「どうせかくなら、他の汗の方がいいと思うわんか?」
 妖しい淫魔の目だ。
 その言葉の意味がわからぬほど、伊佐はヤボでも淡泊でもない。

 ――が。
 素直に誘い言葉と受け止めるには、あまりに危険すぎる相手だということもわかりすぎるほどわかっていた。


        to be continued