第二章 第六回



 伊佐の手に、力がこもる。
 揉みほぐす仕草は、いつの間にか愛撫のそれへと変わっている。
 小さな胸の突起をつまみ、それがピンと立ち上がるまで夢中で弄り回す。
 褐色の男は、身の内に湧き上がる快感を隠そうともせず、うっとりと口元に笑みを浮かべていた。
 無心に、自分に触れる伊佐の手を味わっている。
 それが伊佐を戸惑わせる。
 この男は、砂漠の宿敵のはず。
 何度も剣を交え、戦った相手のはず。
 なのに、どうしてこんなにも無防備に、自分の前に身体をさらしているのだ?

「何故、やめる?」
 ルイの声に、伊佐は我に返る。
「え…?」
「手が止まっているぞ」
 止まったのは、お前の身体に見惚れてしまったからだとは、さすがに言えない。
「そっちこそ、警戒しなくていいのか?」
「俺の悪い癖だ。気持ちよくなると警戒心が薄れる。だから、夜伽の相手となれば、よほど信用できる者でないとマズイんだが」
「そうか? 毎晩、男を漁って、場末の娼館で遊び回っているとウワサで聞いたぞ」
「それも、俺の悪いクセだ」
 緊張感の欠片もないニヤケ顔を見やり、伊佐は、うんざりと眉をひそめた。
「そんなことで、よく今まで生きていられたな」
 王族となれば、敵は外にだけではない。内にだっているのだ。
 現に、同じ王位継承候補のミノス・栄千は、隙あらばルイを亡き者にしようと、機会を狙っているのに。
 だが、そんなことも百も承知のルイは、
「強運なのさ」
 と、ヌケヌケと言ってのける。
「運だけで、この地で生きていけるか」
「砂漠だって同じだろう。最後に残された手は神頼みさ」
「お前達の神と、俺達の神は違う」
「同じだ。この地を作り、人の運命を定めた。その神が味方するからこそ、俺は砂漠で戦っても死なないんだ」
「…………!」
 憎たらしい言葉を紡ぐ男を、伊佐は、ギッと睨みつける。
 もう、馴れ合っている余裕などない。
 すでに伊佐の手は止まっている。
 
「もう続ける気はないか?」
 少々残念そうに言うと、そのままルイは上半身を起こし、伊佐の瞳を間近に捉える。
「まあいい。これ以上やられると、気持ちよすぎて変になりそうだ」
 言葉通りルイの男の証は、すでに悠々と頭をもたげていた。
「……………………」
 見るまいとするのだが、意志に反して、視線はソコに釘付けになってしまう。
 つまり、やっぱり、なんとゆーか。
 伊佐も、たぎる欲望を持つ男だとゆーことだ。
 自分の股間に注がれる視線の意味を、知り尽くしているルイが、
「もっと早く知っていれば、ケンカ以外にも楽しいことができただろうにな、伊佐よ」
 などと、冗談交じりに誘いかけてくる。
 そんな気安い間柄ではないはずなのに。
 だが、ルイは、生き死に拘わる戦いを繰り返してきたことなど、まったく気にするふうもない。
(その一物、どうにかならんか〜!)
 と、怒鳴ってやりたくなるほど、ルイの股間は締まりがない。
 いや、ありすぎるのか――…。

「お前は、誰を相手にしても、そんなことしか考えないのか?」
 ムッツリと、伊佐は言う。
 この世にうつけは多い。
 だが、これほどの大うつけにお目にかかったのは初めてだ。
「相手は選ぶぞ。俺は理想が高いんだ。だが、砂漠一の色男に欲情して何がおかしい?」
 そう言って、遠慮もなくズイっと顔を近づけてくる。
 唇が触れんばかりの距離だ。
 普段は、他者を威圧せんばかりに厳しく光り輝く銀灰の瞳に、今は艶めかしい色香が溢れている。
 視線を逸らすのは負けるようでイヤだが、このまま見つめていると心まで取り込まれそうな気がする。
(ヤバイかもしれない……!)
 そう思いながら、吐息が触れるほどに唇を寄せているのは、ルイなのか、伊佐なのか?
 そうして、二人の唇が触れなんとしたその瞬間――…。

「氷雨!」
 突然、ルイはフイっと顔を反らし、声を上げた。
 その声に誘われるように振り返った伊佐は、開け放たれたままの扉の向こうに、何者かの影かと見間違えるほど気配を殺して佇んでいる黒づくめの男の姿を認め、我に返った。
(そ…そうだった…、氷雨がいたんだ――…!)
 瞬間――…、今の今まで自分がしていたことを思い出して、伊佐は、めったにお目にかかれないほど見事に顔色を変えた。
 すべて見られていた。
 すべて聞かれていた。
 まるで乳くり合っているかのようなバカげた会話まで……。

「伊佐と遠乗りに行く。お前はしばらく待っていろ」
 ルイは悠々とズボンだけを穿くと、そのまま氷雨の脇を通り過ぎて部屋を出ていこうとする。
 氷雨は相も変わらず無言のまま、小さく頷いたが。
 横目で伊佐を見やると、らしくもなく口元に皮肉な笑みを浮かべた。
(わ…笑われたぁ〜!)
 伊佐、ショ―――ック!
 バカにされた、呆れられた、心底惚れ込んだ男に。

「行くぞ!」
 と、伊佐の意向など確かめもせずズンズンと歩いていく褐色の背中を追いながら、
(やっぱり、こいつ、殺してやるぅ〜!)
 と、心で憤る伊佐だった。

       ◆◆◆

 この〈北〉の地で、ルイがそばにいれば安全だなどと、そんな保証はあるはずもない。
 案の定、砂漠に向かう岩場にさしかかったあたりで、顔を覆面で覆った男達に行く手を塞がれた。全部で5人。
「伊佐か?」
 と、叫ぶなり、剣を抜く。
(どーせ、こんなことだと思ってはいたさ)
 むろん、覚悟はしていた。
 恨み重なる〈ハヤブサ〉の伊佐が単身乗り込んで来たのに、むざむざと手をこまねいているような連中ではない。
 武器を持つなとの守弥の言葉通り、今の伊佐は丸腰だ。
 ルイの鞍には、見事な剣がくくりつけてあるが、加勢は期待できないだろうと、すぐに知れる。
 突然現れた暴漢を前にしても、ルイは顔色一つ変えず、馬上から男達を見下ろしながら、
「なんだ、うぬらは?」
 と、とぼけたことを言っている。
(きさまは高処の見物かっ?)
 チッと、伊佐は舌打ちする。
 自らの領地の者ではないと、押し通すつもりなのか?
 余所者が入り込んで来て、勝手に殺したことにすれば、それで言い訳が立つというわけか。

(まあ、いい。その程度の男なら……)
 ヒラリと馬から下りると、伊佐は恐れもなく、剣を構える男達の前に立つ。
「いかにも、俺が砂漠の伊佐だ」
 殺されるかもしれないという時に、伊佐は存外気楽だった。
 死ぬ覚悟なくして、誰が敵地に飛び込める。
 はなから暴挙だとはわかっていた。
 部族の者は、こぞって反対した。
 ここで自分が死ねば、仲間達は復讐に血道を上げ、また数百年に渡る闘争が続くだけ。
 だが、〈南〉が力を落としているこの時を逃せば二度と機会は訪れないとわかっていても、殺し合いの連鎖を断ち切れないなら、もうしかたがない。
 そこまでどちらも愚かなら、最後の審判は時が下してくれるはず。
〈北〉も〈砂漠の民〉も、もろともに砂に呑まれて消えるか。
〈南〉の軍門に下って、奴隷と成り果てるか。
 勝手に選べば、それでいい。
 どちらにしても、残された瞳でそれを見ることはないのだから。

 その代わり、今、目に飛び込んで来たのは、剣を振り上げ突進してくる暴漢の姿だった。
(間に合わん――!)
 せめて無様になるまいと、反射的に逃げようとする本能を、最後のプライドで押し殺す。
 背中を切られたのでは、後々までの恥になる。
 砂漠の伊佐は、顔面を真っ二つに割られても、笑いながら死んで言ったと讃えられるために。
 降り落ちてくる剣を、睨みつける。
 だが、あにはからんや、暴漢の剣は、伊佐に届く前に、腕ごとドサリと地面に落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ――――!」
 あたりに轟く悲鳴とともに倒れ込んだ男の前に、大刀を手に悠々と立つ褐色の人影。
「ルイ……!」
 暴漢どもが、驚愕に目を見開く。
 だが、誰より驚いていたのは、伊佐だった。

「俺の客人に手を出す者は、遠慮なく切り捨てる!」

 そう言い捨てたルイの顔には、ゾッとするほど凄みのある笑みが浮かんでいた。


        to be continued