第二章 第四回



「和睦…?」
 伊佐の口から発せられた言葉を、守弥はすぐには信じられなかった。
 信じられるはずがない。
 いったい何百年、砂漠と〈北〉は対立してきたと思っているのだ?

「お前、和睦の意味を知っているか?」
 思わずマジで訊いてしまった。
「バカにしているのか?」
「そうじゃないが…、俺の耳が悪くなったわけじゃないな」
「ぬかせ。〈北〉と手を結びたいと言っているんだ」
「意味は合っているようだな」
「砂漠と〈北〉が手を組めば、〈南〉を倒すのも夢じゃない」
 そんなことは言われなくてもわかりきっている。
 過去に何度も、〈北〉と〈砂漠の民〉は、手を結ぼうと努力してきたのだ。
 だが、どちらも好戦的な民ゆえに敵と馴れ合うことをよしとしない者も多く、そのたびに造反者が出て話は立ち消えになってしまった。
 今は亡き、焔が望んだ。
 ダイモーン・青龍が、15年の統治の間に果たし得なかった。
 その大望を簡単に口にするか、21かそこらのガキがー?

「それは、何の冗談だ?」
 憤慨も露わに、守弥は問い返す。
「冗談なものか。今までだって何度も、和議の話は出たはずだ」
「そのたびに、ぶち壊したのはお前らだろう。砂漠の部族は、結局は一つにまとまることができなかった。あまつさえ、休戦協定を結んでこちらが油断しているのをいいことに〈北〉を襲撃したりもした。盗人猛々しいとは思わんか?」
「爺様達がやったことを、俺に言われても困るな」
「貴様が一番の盗人だろう。つい半年前、〈ハヤブサ〉の襲撃があったばかりじゃないか。もっともルイに追い払わて、何も盗まずに逃げ出したようだが」
「あの時のことは…、完全に俺の勇み足だ」
 と、珍しく、伊佐の声が尻すぼみになっていく。
(ほう…。これは何かあったな?)
〈砂漠の民〉は遊牧民族であり、転々と居住場所を変える。
 どこで何が起こっているかをつかむのは、守弥の情報網をしても至難の業なのだ。

 ――半年前、伊佐は妻を失った。
 17の時に結ばれた2つ年上の妻の名は、花梨。
 伊佐のために跡継ぎの男の子を生み、育て、さらに新たな命を宿していた花梨は、だが、難産の末に子供もろとも砂漠の神に召されてしまった。
 砂漠は〈北〉と違って、一夫一妻を強く守っている。
 妻と子を同時に失った伊佐の嘆きは、生半のものではなかった。
 砂漠のため、部族のため、暴挙とも言える戦いを繰り返す伊佐を、優しい花梨はいつも心配していた。
 その不安が、花梨の身体を蝕んだのではないか?
 自分が戦いになど明け暮れず、妻のそばにいてやれれば、もしやあれは死なずにすんだのではないか?
 自棄になった伊佐は、その悲しみと怒りを〈北〉へと転嫁させてしまったのだ。
 そして行われた無益なだけの襲撃を、伊佐は深く悔いている。
〈北〉には何の責任もないことを、不甲斐ない自分の憂さ晴らしのためだけに押しつけた。
 さらに、仲間達をも危険にさらした。

「あれは、俺の過ちだ。すまんと思っている」
 初めて伊佐の口から発せられた〈北〉への謝罪。
「今日は、耳を疑うことばかりだな」
 と、守弥は呆れる。
「砂漠に伊佐ありと謳われた男に、何があった?」
「…………」
 だが、伊佐の無念の表情を見て、守弥はそれ以上の問いをやめた。
「どちらもどちらだ。俺達も散々〈砂漠の民〉を殺してきた。過去の恨みをあげつらっていたら、和睦など夢のまた夢だ。だが伊佐よ、できると思うか、本当に?」
「俺はやる!」
「砂漠をまとめきれるか?」
「今やらねば、また十数年も待つ羽目になる。〈北〉の王が変わるこの時こそ、新たな協定を結ぶまたとない機会じゃないのか?」
「ガキが、わかったようなことを言うんじゃない」
 だが、この21になったばかりの生意気な若者が、今は砂漠をまとめているのだ。

 過去の協定が不首尾に終わった原因の一つは、砂漠の長老が年輩者であったことだ。
 老獪な年寄りが理詰めで説得しようとしても、若い者は耳を貸すはずもない。結局、勝手な行動に出るものは後を絶たなかった。
 が、伊佐は、その身勝手な連中の最先鋒なのだ。
 その男が、自ら和睦を望んでいる。
〈北〉と砂漠が、共に同じ世代の若者に代替わりするこの時こそ、確かに願ってもない好機かもしれない。
 伊佐もそれを感じているからこそ、こうやって守弥の元を訪れたのだろう。

「条件は?」
 と、守弥は指で伊佐を招くと、耳元にこっそりと囁いた。
「俺達を、〈北〉の王を選ぶ投票に参加させろ」
「何…?」
「砂漠の50の部族の族長、すべてをだ」
「おいおい、とんでもないことを言い出すな」
「俺達が道案内をして砂漠を越えるなら、上に立つ者を選ぶのに俺達が参加しない法があるか?」
「お前達が選んだ王に、〈北〉が納得しなかったらどうする?」
「砂漠の者を候補にしろと言ってるわけじゃない。どのみちミノスとルイが候補では〈北〉の意見は真っ二つに分かれるだろう。だが、俺達の票が入れば、勝敗はキッパリとつくぞ」
「冗談をぬかせ」
 と、守弥は鼻先で笑った。
 ルイは砂漠の天敵だ。〈砂漠の民〉が投票に加われば、ルイの敗北は火を見るより明らかだ。
「そんな、端からルイに不利な条件を俺に持ち込んで、首を縦に振ると思っているのか?」
 守弥は言い捨てると、小馬鹿にしたように口元を歪ませた。
「あれこれご大層なことを並べ立てていたが、実はミノスに賄賂でももらったんじゃないのか? 砂漠の票が入れば得をするのはあいつだ」
「俺が金で動くと思うか?」
「盗人が、金以外の何で動く?」
「何っ――!」
 カッと、伊佐の顔が怒りの形相に歪む。
「そこまで見くびられたのでは話にならん! 〈北〉に守弥ありとまで言われる男が、人を見る目はその程度か?」
 言い捨てて、椅子を蹴倒す勢いで座を立ち、そのまま部屋を抜けて立ち去ろうとする。

「待ちなって。短気なところは、光輝と同じだな」
 背後から呼び止める守弥の声。
 そこに、からかうような響きを感じて、伊佐は足を止めた。
 振り返り、悠々とワイングラスを口に運んでいる男を睨む。
「試したな?」
「いや。ちょっとはガキっぽいところを見せてくれないと、俺の立つ瀬がないだろう」
 クックッと、守弥は楽しげに笑った。

 結局、こういう男が好きなのだ。
 血気盛んで、侮辱されることを何より嫌う若者が。
 自分も昔はそうだった。
 焔とダイモーンと誓い合って、〈南〉に攻め込むことを夢見た日。
 時が15年戻ってくれるなら、もう一度、この若者達といっしょに戦うものを。
 だが、今は剣術より金勘定の方が得意になってしまった。
 
「座れ」
 と、守弥は伊佐を手招く。
 だが、からかわれたと知った伊佐は、すぐには戻ろうとしない。
「いいから座れ。こんなことでいちいち怒っていては、和睦など夢のまた夢だぞ」
 不承不承、伊佐は腰掛ける。
「まず、ルイを知れ」
「どういうことだ?」
「お前達はミノスとは通じているが、ルイとは戦いの場でしか顔を合わせたことがないはずだ」
「それ以外で、あいつと逢う必要がない」
「だから、逢ってみろ。〈北〉の通行手形を出してやる。ルイに逢いに行け」
 その提案に、さすがの伊佐も顔色を変える。
「俺に、ルイの領地に足を踏み込めと? 俺の首をかっ切ってやろうと狙ってる連中の溢れてる場所へか?」
「それくらいの覚悟がないなら、同盟など端から無理な相談だ」
「…………」
 確かに。昨日までの敵が手を組むなら、命を懸けるだけの覚悟が必要だろう。
 死んだ妻のために。子供のために。
 そして、砂漠の将来のために、今度こそ何としても〈北〉と手を結ぼうと決心したのだ。
 それに、先に話を持ちかけた以上、今さら逃げるわけにはいかない。

「わかった」
 と、頷く伊佐に、守弥はさらなる条件を加える。
「武器を持って入ることは、許可できない」
「殺されに行くようなものだな」
「その代わり、氷雨を同行させろ」
「氷雨を?」
「お前のお気に入りだろう。いくらルイの一派でも、氷雨といっしょにいるお前に手出しはできん」
「……だといいが」
「砂漠を投票に参加させるように、お前がルイを説得しろ。ルイが認めれば、俺もダイモーンや議会に進言する」
「一番の難題を突きつけてないか? ルイが俺の話をまともに聞くとは思えんぞ」
「わざわざ敵地に命がけで赴いた男の話に応じないようなら、王位継承の候補になどなるか。まあ、とにかく騙されたと思って行ってみろ。戦っている時以外のルイは、なかなか楽しい男だぞ」
「あの鬼神が楽しいだと〜?」
 伊佐が守弥の言葉の真意を知るのは、まだ先のこと。
 
 だが、長の年月反目し合ってきた〈砂漠の民〉と〈北〉の関係は、この瞬間に確かに変わり始めたのだ。

       ◆◆◆

 伊佐が、氷雨を同行して〈北〉の地を踏んだのは、それから2週間目のことだった。
〈北〉の全土に、伊佐に通行手形が発布されたことが伝えられ、しばしの停戦協定が結ばれた。
 もしも協定を破り、砂漠が〈北〉に攻撃を仕掛けるようなことがあれば、伊佐はその場で殺されるだろう。
 伊佐にとっては、まさに命懸けの行動だった。

 ルイの居城は、石造りの要塞だった。
 二重の堀、城壁に並ぶ砲門。間近に見たそれは、闘神ルイの性格そのままに近づく者を威嚇している。
 守弥からの通達があったが、側近達は伊佐の登場に色めき立った。
 頭の天辺から足の先まで、武器を携帯していないかを調べられ、ようやく中に通されたのは、1時もたった頃だった。
 ルイの部屋は最上階にある。
 石造りの壁が剥き出しになった牢獄を思わせるような部屋の中、ルイは敷物の上で寝そべっていた。
 褐色の肌をさらし、両手足を長々と伸ばし、俯せていた。
 一糸まとわぬ姿で。

 伊佐の喉がゴクリと妖しく鳴った。

        to be continued