第二章 第三回



 ダイモーン・青龍が、後継者候補を指名した日より3日目。
 守弥は、砂漠の交易都市〈シュロ〉を訪れていた。

 大陸のどこでもそうだが、交易都市はどの国の法律にも属さない治外法権の場である。
 東西南北すべての国の商人達と、〈砂漠の民〉が混在する都市内では、たとえ敵対する民族同士でも戦いは許されない。
 この戦乱の時代、交易都市はもっとも安全な場所なのだ。
〈北〉で一番の商売上手。王よりも富を持つ男と言われる守弥は、あちこちの交易都市に別宅を構え、商取引の場にしていた。
〈シュロ〉の館も、その一つである。
 独自の文化を持つ〈砂漠の民〉の織物や香油、そして、裏ルートであつかわれる猛毒の類は、当然他国でも珍重される。
 今回の取引で守弥の懐はまた潤うのだ。

 その館に、意外な客が訪れた時。
 一仕事終えた守弥は、最上階のバルコニーから活気あふれる市場を見下ろしながら、〈東〉の商人から仕入れた最高級のワインに舌鼓を打っていた。
 召使いに通されて……、と言うよりは、押し止めようとする召使いをズルズルと引きずって、その男は守弥の前に現れた。

「伊佐か。これは珍しい客だ。まあ、座ってくれ」
 砂漠でもっとも勇猛果敢な戦士。
 野党集団〈ハヤブサ〉の頭領。
〈北〉の宿敵でもある男の登場にも、守弥は口の端を上げただけで驚きは見せない。
 ここは交易都市だ。誰がどこを闊歩しようが自由なのだ。
 だが、相手が相手だけに、主人の身を案ずる召使い達を下げワインを勧める間も、警戒は怠らない。

「何だ、それは?」
 と、見たこともない赤い液体に、伊佐は不審げに眉根を寄せた。
「味わってみろ。〈東〉の酒だ。滅多に手に入らない上物だぞ」
 訪れた家の者が差し出した食物を口にするのが、まず話し合いを始めるための儀式だ。
 グラスを手にすると、伊佐は一気にワインを呑み干した。
「美味いな」
 と、一言唸ると、ワインの瓶を手に取って注ぎ足そうとする。
(こらこら〜☆ いくらする代物だと思ってるー!)
 慌てて伊佐の手から瓶をひったくる守弥は、商人であるから当然ケチなのだ。
「酔っぱらう前に、用向きを聞こうか」
「新しい王を決めるそうだな」
「ああ。ダイモーンは、じきに35だ。半年後には新たな王を選ぶための投票が行われる」
「ルイとミノスが候補だと聞いた」
「ああ。片や、お前の大っ嫌いなルイ。此方、こそこそ裏で連んでいるミノスだ」
「あんたは、人を不快にさせる物言いしかできないのか?」
 伊佐の顔が怒りに歪む。

〈北〉で、砂漠と隣接する部族は全部で11。
 そのうち5つは〈黒〉と呼ばれる一族で、〈北〉でも一種独特な風習を持ち、〈砂漠の民〉と共存する事で難をしのいできた。
 だが、残り6つは、ルイを王として戴こうとしている好戦的な強硬派だ。
 砂漠からの襲撃があるたびに、それを迎え撃ち、先陣をかって出たのはルイだった。
 その中で、敵味方、あまたの血が流されてきた。
 復讐を誓う〈砂漠の民〉にとって、ルイほど憎い相手はいまい。
 それに引き替え、大盤振る舞いが十八番のミノスは、伊佐にさえも裏でこっそりと賄賂を送っているのだ。

「あんたはルイの後見人だ。やはり、あれを王座に就けたいか?」
 伊佐の問いに、今さらとばかりに守弥は頷く。
「当然だな。ミノスでは戦えんだろう。〈北〉の大望は〈南〉に攻め込むことだ、知っての通りな。ダイモーンは成し得なかったが」
「だが、砂漠を越えられるのは俺達だけだ」
 と、伊佐は、自慢げにふんぞり返る。
(むかっ腹の立つガキだぁ〜!)
 心で思いながらも、そこは大人の余裕で抑える守弥。
「俺達商人は、ちゃんと砂漠を越えているぞ」
「あれは、点在するオアシス都市を経由してだ。そんなルートを使って戦争ができるか? 兵を動かしたことはすぐに〈南〉に知れるぞ」
 図星を指されて、守弥はチッと内心舌打ちした。
「まだ商人も知らないルートがあるのか?」
「ある。俺達だけが知っている」
「数千の兵を〈南〉に気づかれずに送れるだけのルートか?」
「数万でも平気だ」
「…………!」
 さすがの守弥も、これには言葉をなくした。

 砂漠には、まだまだ秘密が多い。
 商人達が使っているルートなど、そのほんの一部にすぎない。
 だが、数千の兵士を〈南〉に気づかずに進軍させられれば、奇襲をかけることができる。
 圧倒的に軍備で劣る〈北〉が〈南〉を討つには、それしか方法はないのだ。
 守弥は商いをしながら、ずっとそのためのルートを探ってきた。
 喉から手が出るほど知りたかったそれを、目の前の男は知っていると言う。
(この小僧が〜!)
 憎たらしい男。
 だが、味方にすれば、これほど頼りがいのある男はいまい。
(この男が〈北〉に欲しかった)
 光輝の情熱、氷雨の冷静さ、蘭月の狡猾さ。そのすべてを兼ね備えたような男。
〈北〉が〈南〉に挑むためには、眼前に広がる砂漠を縦横無尽に駆け回る、この男と戦わなければならないのだ。
(俺は、光輝の育て方を間違えたな)
 と、今さらながら少々後悔する。
 本質的には、もっとも光輝に近いはずの伊佐に、その性質とは相反する理性や常識を持たせたのは砂漠の厳しい環境だ。
 やっぱりどこか甘やかしすぎた。
 好き勝手をさせすぎた。

 ――光輝の父、今は亡き焔は、守弥の初恋の男だった。
 崇高な理想を持って、ダイモーン・青龍と共に〈北〉を導いていた希望の星。
 金儲けにしか興味のなかった守弥を身体を張って説得し、政治に引き入れたのも彼だった。
 情熱の歌姫と運命の恋をし、光輝という息子に恵まれ。
 ダイモーンを王座に就け、勝手気ままな部族長達をまとめるための法律を作り上げ、すべてはこれからという時に、砂漠との小競り合いの中であっけなく命を落としてしまった。
 その一報を受けた時、守弥は幼い光輝を抱いて男泣きに泣いた。
 生涯、涙を流したのは、あの時だけだ。
 恋人ならば、この先いくらでも出逢えるだろう。
 だが、焔ほど尊敬に値する男には二度と巡り逢えまい。
 あんな男が他にいるはずはない――!
 それは、むろん惚れた欲目もあるのだが。
 焔の代わりに立派に光輝を育て上げようとしてきたが、愛した男の面影を宿した少年に甘くなってしまうのは、いたしかたのないことだ。
 たとえ、守弥ほど計算高い男であろうと。

 だが、自分の育てた光輝が、伊佐に見劣りするのは少々おもしろくない。
「砂漠の大将自ら出張ってきて、自慢するのが目的か? 実は、俺の秘蔵のワインを平らげに来たんじゃないのか?」
 大人げないと思いながら、いつの間にかワインの瓶に伸びている伊佐の手をピシリと払い除けてしまう。
「水代わりに呑むもんじゃない。これ一瓶で100人の腹が満たせる値段だぞ」
「何ぃ〜?」
「酔いたいだけなら安酒でも呑んでいろ。後ろの棚に、いくらでも入っている」
 守弥は、部屋の中の酒瓶が並んだ棚を示す。
「なら、一瓶もらう」
 伊佐は遠慮もせずに一瓶手にすると、一気にラッパ呑みした。
「おいおい〜。ホントに酒だけ呑みに来たのか?」
 呆れる守弥だが、伊佐はすでに酒瓶を空にしながらも、酔った様子一つ見せない。
 それどころか、妙に緊張した表情からは、酒でも呑まねば言えないような覚悟が見える。

「これは、砂漠のすべての族長達の総意だ」
 らしくもない堅苦しい言い方に、守弥は何やらただならぬものを感じて、口元に浮かんだ薄ら笑いを消した。
「難しい話か?」
「ダイモーンと議会への橋渡しを頼みたい」
「お前が俺に頼み事か?」
 と、余裕を見せるために口にグラスを運ぶ。
 伊佐は無言で頷くと、本当はこんなこと死んでも言いたくないとばかりの仏頂面で、口を開いた。

「砂漠は、〈北〉と和睦を望んでいる」

「――――!」
 瞬間……、守弥は、口に含んでいたとぉーってもお高いワインを思いっきり吹き出した。

        to be continued