第一章 第十回


 新たな王を決める族長会議の最中。
 立ち上がった男の姿に、誰もが目を疑った。
「そんなバカな…! 何故あいつが――…?」
 一番驚いたのは、ミノスだったろう。
 だが、光輝も蘭月も、これは何の冗談だと思っていた。
 余裕の男、守弥でさえ、
(おいおい、最初に言っといてくれよ〜)
 と、内心の動揺を押し殺していた。
 その場で表情を変えなかったのは、3人だけ。
 ルイと、氷雨と、そして、ルイのために票を投じた男。

 勇猛果敢な砂漠の戦士、伊佐だ。

「何故伊佐が…? 〈ハヤブサ〉の伊佐が…?」
〈砂漠の民〉に動揺が走る。
 砂漠の族長の半分は、伊佐率いる〈ハヤブサ〉と繋がりがある。
〈ハヤブサ〉は砂漠の資金源であり、ほとんどの部族がその恩恵に与っているのだ。
 伊佐の決定は、砂漠の決定だ。
 だが、ルイは伊佐にとって、最も憎むべき相手だったはず。
 先ほどのいざこざ一つとっても、伊佐がルイを快く思っていないことなどわかりすぎるほどわかっている。
 その男を伊佐が選んだ!

「おっ…お前、ルイに投じて、さっきの小僧を引き渡してもらおうって魂胆だなっ!」
 ミノスが息荒く声を上げた。
 だが、ルイは悠々と言葉を返す。
「それはないな。あれは殺さない。医者は必要だ。それよりナギが言っていたぞ。俺の肩の傷は、砂漠の連中の使う毒でつけられたもんだと」
 一瞬、ミノスがギクリと顔色を変えた。
「お…お前は、砂漠に嫌われているからな…。砂漠の刺客に狙われても不思議はないだろうさ」
「なるほど。砂漠の者の仕業だと言うのか? 部族の会議の前に、目障りな男を消してしまおうと?」
 ルイの言葉に、議場にただならぬ気配が流れる。
「おのれ〜、ルイめ! 新王を決めるこの大事な席で我らに卑怯者の汚名を着せようと言うのか?」
 と、〈砂漠の民〉が色めき立つ。

 だが、ルイは余裕たっぷりに口の端を上げた。
「もしも俺を狙った刺客が砂漠の者なら、俺はとうに死んでいるな」
「何…?」
「戦いの最中ならいざ知らず、俺は恋人と逢い引き中だったんだ。もっともあの男も刺客の一人だったのだろうが…。俺の悪い癖だが情事の最中には隙だらけになる。砂漠の者は弓の名手だ。一発で心臓を射抜くはずだ」
 と、今も包帯の巻かれた肩を、露わにする。
「なのに10センチも逸らすとは。そんなヘボな刺客が、お前の手下以外にいるか?」
 ルイの言葉に、砂漠の族長達は大いに頷いた。
「確かにそうだ。砂漠にそんなヘボはいない。ミノスの手下だけだ」
「そうだ、そうだ。そんなヘボは他にはいない」
「まったくヘボだ。どーしようもないヘボだ」

「ヘ…ヘボヘボ言うなぁぁぁ――――!」
 と、ミノスの隣に控えていたヘボな刺客が堪らず叫んだ。
「あいつがヘボだ」
「ヘボだ、ヘボだ」
 と、皆が指さして笑う。
 可哀想に。
 以来彼は、一生ヘボと呼ばれることになってしまうのだ。
 まあ、しょうがない。本当にヘボなのだから。

「し…知らんっ…! こいつが勝手にやったことだ」
 この期におよんでも悪あがきを続けるミノスは、必死に問題をすり替えようとする。
「おっ…お前こそ、裏で伊佐とどんな密約をした? いくら賄賂を贈ったんだ?」
 だが、それに答えたのはルイではなかった。
「賄賂を送ってよこしたのは、お前だ」
 伊佐の声に、ミノスは真っ青になって振り返った。
「あれは、ありがたくもらっておく。だが、砂漠の伊佐が、金で動くと思ったら大間違いだ!」
 朗々と響く勇者の声。
〈南〉に捕らわれ、左目を潰され、それでも生きて帰ってきたのは伊佐だけだ。
 その男の言葉の持つ意味は重い。

「俺達は戦うために王を選ぶ。陣頭に立って砂漠を越え〈南〉に攻め込める男を選ぶ。砂漠の太陽の下、お前のなまっちろい肌では1日ともたんぞ」
「お…王が陣頭に立つ必要がどこにある? 王は後方に控えて作戦を立てるもんだ。そのために兵を率いる将軍がいるんだ。俺が王になったあかつきには、お前にその大役をやってもらおうと……」
「俺達は〈北〉の犠牲になる気はない。兵士の前に立たない男を、敵に身をさらさぬ男を、誰が信用するものかっ! わざわざここに、この場所に、遊びに集まったわけじゃない!」
 もはやミノスに言葉はない。
 歯の根も合わず、ガチガチと震えている。

「俺達は戦争をするんだ――!」

 それこそが砂漠の意志!
 戦うための王を選ぶことこそ、長の年月大国〈南〉に苦渋を嘗めさせられてきた砂漠の大いなる意志だ。
 そして、砂漠の族長達はそれぞれに顔を見合わせ、頷き合い、立ち上がった。
 1人……、また1人…。
 そして、砂漠のすべての族長が、自らの長としてルイを戴くために立ち上がった。
 もはや数えるまでもない。
 票は決したのだ。
 守弥は、満足顔で議決を下す。
「ルイ・八束の票は128票。半数を超えた。ルイが我々の新たな王だ」

「うっ…ウソだぁぁぁ〜! こっ…これは謀略だぁ〜! やり直せ、最初から投票をやり直すんだぁぁぁぁぁ――――!」
 ミノスの情けない叫び声は、だが、新王に捧げられる歓声に掻き消されて誰の耳にも届かなかった。

       ◆◆◆

「ルイは?」
 城の一室、戻ってきた蘭月に光輝が問いかける。
「眠ってる。よくもったもんだ。3日3晩死ぬ思いをしたあげく、不眠不休で砂漠を渡って来たんだ。倒れるように眠っちまった」
「あのナギってヤツは?」
「そばについてる」
「委せて大丈夫か?」
「危害を加える気なら、最初から助けたりはしなかっただろう」
「だな……」
 小さく頷き、光輝は長々と敷物に寝そべった。
「それにしても、ぶったまげたぜ…☆」
 望んだはずの結果。
 だが、狐につままれたような感は否めない。
「まさか伊佐が、あーゆー態度に出るとは思ってもいなかったぜ」
「同感だ」
 蘭月は呟き、窓辺に腰掛けている男に視線を向ける。

 月明かりに映える端正な横顔は、どんな感情も表していない。
 寡黙な男は、この騒ぎの中でも一言も発しなかった。
「氷雨、何か知ってたな?」
「…………」
「また、だんまりか?」
 答えは引き出せぬと思い、諦め気分で蘭月は呟く。
 だが、意外にも、氷雨は口を開いた。
 そして、今日二度目になる言葉を発したのだ。
「あの2人はできている」
 あまり彼らしくないセリフを――…。

 光輝と蘭月は、何事と顔を見合わせた。
 できている…?
 誰と誰が……?
 あの2人って、もしやルイと伊佐か…?

「なっ…何ぃぃぃ――――?」
 光輝と蘭月の見事なおマヌケ声が、城の闇の中に轟き渡った。
 
 互いに、仲間を殺されている仇同士ができてる?
(有り得るかもしれない……)
 光輝と蘭月は、呆れながらも納得顔で頷いてしまった。
 ルイは美形が好きだが、強い男はもっと好きだ。
 単に〈尻軽〉とも言うが……。

       ◆◆◆

 城の最上階、新王のために用意された天蓋つきのベッドの中でルイは死んだように眠りこけていた。
 椅子に腰掛け、そばに控えていたナギもまた、いつの間にかウトウトと微睡んでいる。
 ふと、忍び寄ってくる気配で目を覚ます。
 瞬間――…、大きな手で口を塞がれた。
「声を出すな」
 耳元に響く低い声。
 薄闇の中、まるで夜行性の獣のようにギラリと光る一つの目。
(伊佐――…?)
 ついに自分を殺しに来たかとナギは覚悟し、抵抗をやめた。
「いい子だ。そこでおとなしくしていろ」
 伊佐は囁き、ベッドに仰臥する褐色の男に視線を向けた。

「約束の物をもらいに来たぞ」
 熱い目で呟いて、褐色の肌をおおう布を乱暴に払い除けた。
 現れたのは、無防備に横たわる一糸まとわぬ逞しい身体。
 伊佐はゴクリと欲情の息を呑む。
 そこが、どんなにすばらしく締まるか。
 どれほど熱く男を迎えるか。
 伊佐は知っている。
 手で、舌で、何度も確かめた。
 だが、己の男で味わったことはまだない。

『欲しければ、くれてやる』
 と、ルイは言った。
『俺の信頼に足る男になれ。お前の前になら弱点をさらけ出しても平気だと俺が思えるほどの男になれ』
 と、傲然と言い切った。
 伊佐が、そうするだろうと知っていて……。

「お前のおかげで、砂漠の伊佐はルイに屈したと、さぞや陰口をたたかれていることだろう」
 恨み言を紡ぐ口元は、だが、うっすらとほくそ笑んでいる。
「後悔はないがな」
 ズボンの前を開け、昂ぶるものを取り出すと、そのままルイの身体に伸しかかり、露わになった肩に口づける。
「…ん…?」
 と、ルイはわずかに寝返りを打ったものの、目覚めはしない。
 無意識のうちにも感じているのだ。
 触れてくる手が、唇が、警戒の必要のない男のものだと――…。
 自分に忠誠を誓った、あの男のものだと。

「砂漠で、子供がどうやって死んでいくか知っているか?」
 と、伊佐が顔も向けず、ナギに問う。
「お前は医者だ。見たことがあるか? 飢えて、干からびて、こんな小さなミイラになって死んでいくんだ」
「…………」
「俺達は〈北〉と組んでお前達の国を奪う。生きていくためだ。俺達の子供達のためだ」
 その揺るぎない意志。
「見ておけ。仇同士の俺達が、どうやって信じ合ったか」
 伊佐はナギに向かって言い捨てると、まだ眠りの中に捕らわれたままのルイの双丘を割り開き、猛る己が男で貫いた。
 深々と――…。

 その夜、ナギは部屋の隅で震えながら、目を逸らすことさえできずにただ見続けていた。
 互いの身の内で確かめ合うことによって信頼を築き上げる、戦う男達の燃えるような情熱を――…。


        to be continued