第一章 第四回


 オアシスの棕櫚の木影に、1人の男が立っている。
 いや、ただ立っているわけではない。あちこちとうろつき回り、ふと立ち止まっては砂漠の彼方を眺めやり、また意味もなく歩き出す。
 妙にソワソワとしたその男が、強さを価値とする〈北〉の戦士の中でも最も勇猛果敢と唱われ、〈流血の獣〉の異名をとる男とは、誰しも目を疑いたくなるだろう。
 やがて、男は、今度はかなりの時間立ちすくみ、永々と連なる砂丘を失望の目で見やっていたが。
「だぁぁぁぁぁ―――っ! もー何をぐずぐずしてやがる! さっさと帰ってこねーと、あの野郎、ケツの穴から手ぇ突っ込んで、抜かずの10発の刑にしてやるぞっ〜!」
 と、突如として吠えた。
〈北〉の男もまた、かなりお下品だった。

「バカが…、また何か叫んでやがる……」
 背後のテントから、長い金髪をなびかせた青年が、美麗な面をうんざりと顰めながら現れる。
「落ち着けよ、光輝。まだ4日ある」
 肩を怒らせ砂漠に向かって吠える男を、一声、なだめる。
「蘭月か……」
「うるさくて、おちおち昼寝もしてられん」
「てめーこそ、よく落ち着いてられるよなぁ〜!」
「すまんね。なるようにしかならないってのが、俺のモットーで」
「かぁ――っ! 〈西〉の連中は、すぐにそれだー。明日、明日、明日ってなー。そんなこと言ってる間に〈南〉の大群が押し寄せてきてペシャンコにされちまうぞ。えー、てめーなんか別嬪さんだからよ、バッコバコに犯られちまうぜっ!」
「あのねー。〈南〉では、男色などという下品な風習はタブーなの」
「どーこが下品だ! 女を金で売り買いする〈南〉より、よほど高級な風習じゃねーか」
「それを言うなら、高尚だろう?」
 いや、むろん、決して高尚とは言いかねる風習ではあるが……。

 もともと〈北〉での男色行為は、女の数が圧倒的に少ないことから自然発生的に生まれたものだ。
 ゆえに、彼らに後ろめたさは全くない。
 
 男女差、8対2。男達の王国の歴史は、流刑地として始まった。
 夏には砂漠から吹きつける熱砂に炙られ、冬には一面の雪に覆われる不毛の地は、〈南〉にとって恰好の島流しの場所だったのだ。
 今でも、追放されて、もしくは自ら逃れて、砂漠や樹海を越えて流れて来る犯罪者は後を絶たない。
 むろん、その大半は男だ。
 だが、そんな無頼漢の集まりであるはずの〈北〉の男達は、子孫を産み育ててくれる女を、宝物のように大切にする。
 結婚相手を選ぶのは女の特権であり、当然、賢い女ほど、厳しい極寒の地で生きていくために、強くて裕福な男を選ぶ。
 ゆえに、若くて力はあっても財を持たぬ男達が、猛る性を満たすために男色行為に走るのは、無理からぬことだった。

「あの、あの、あの、あの性欲魔人〜っ! 男のケツばっか追っかけ回してるから、こんなことになるんだぁぁぁ――!」
「人のこと言えた義理かね?」
「あ〜?」
〈流血の獣〉と称される光輝は、当然男達の羨達の的でもあったが、また、邪な欲望の標的でもあった。
 もちろん、強い者を組み伏したいという対象としてだから、4〜5人がかりで押さえつけられ、犯られまくった経験など、あまりにありすぎて覚えてもいない。
 もっともこの男、どちらもいけるクチだから、強く、逞しく、モノさえ立派なら抱かれることにはいささかの拘りもない。
 結局、どんな意味においても、男に望まれることは、〈北〉の男にとって名誉ではあっても恥ではないのだ。

 光輝は、20歳になったばかり。
 血気盛ん、精力満々。
 毎晩抜いても足りないほど。
〈北〉で一番の好色な男は誰だと道行く者に問えば、十人中九人は光輝だと答えるだろう。
 そして、十人中九人までが一度は寝てみたいと望む相手でもある。

 その光輝が、唯一、自ら望んだ男がいる。
 黄金の髪、銀灰の瞳。
 褐色の胸に、鮮やかに浮き出る蠍の刺青。
〈北〉と〈砂漠の民〉、合わせて200を越える部族を統べる者として最もふさわしいと彼が選んだ男は、名をルイといった。
 ルイ・八束。
 伝承で語られる王の名を戴く彼は、この時代においても、王位継承候補の1人であった。

〈北〉の王は〈南〉の王とは違い、どれほど本人が固執しようと、若さを失う35歳で、王座を明け渡さなければならない。
 新たな王は、世襲ではなく、〈北〉を根城とする160の部族の族長達の投票で選ばれる。
 さらに今回は、砂漠に住む50もの部族が、加わることになった。
〈北〉と〈砂漠の民〉が、一つの意志をもって、新たな王を決める。
 かつてない規模の部族会議が、オアシス都市〈緑の聖地〉で開かれようとしているのに、肝心の候補者の1人であるルイが1週間も前から姿を消してしまっているのだ。

「男だっ! ずぇっーたい、男のケツの穴を追い回してるんだっ!」
 光輝は吠える。吠えまくる。
 王族であるルイには、すでに4人の妻がいる。
 最初の妻は13の年に、最後の妻はつい1ヶ月前24歳の誕生日にめとったばかりだ。
 その4人すべてを公平に愛し、庇護し、子を成し、育てるのが夫たる者の義務なのだが、5歳を頭にすでに6人の子の父であるルイは、その義務を十分果たしていると言えるだろう。
 4人の妻の誰も、ルイの寝所での行為に、不平不満を漏らしたりはしていない。それどころか、とっても満足されてるようだ。
 なのに、どうして毎晩、違う男を漁りまくるだけの時間と精力が残っているのか?

「さぁて…。追い回しているのは、穴か竿か……」
 蘭月は、口元に意味深な笑みを浮かべ、長い金髪を掻き上げた。
「おい〜☆」
「賭けるか? あいつは、掘られる方が絶対好きだぜ」
「だったら掘られまくりゃあいいんだ、好きなだけー! さっさと戻って族長全部に尻を差し出して、前から後ろから咥えまくって、精力満々のところを見せつけてやりゃあいいっ! それで決まりだ。あいつが王だ!」
「でも、族長会議に出席しなけりゃ権利を放棄したとみなされる。当然ミノスに決まりってことになるな。ハデに毎日宴席を設けて、集まってくる族長達に振る舞ってるらしいぜ」
「あっのオカマがぁぁぁ〜!」
 苦々しく思い出すのは、いま1人の候補者である、ミノス・栄千のひしゃげたキュウリ面だ。

〈北〉にかぎらず自ら第二の名を名乗ることが許されているのは、王族でも継承権を持った者だけだ。
 ミノスもまた、伝承で語られる王の名であり、一説ではミノタウロスという怪物の父でもあるという。
 たぶん、強さを誇示するためにつけたのだろうが、お粗末なほど名前負けしてしまっていることに、どうやら本人、気づいてもいないらしい。

「あんなのが王になって、戦争ができるか?」
「王に必要なのは力以前に錦の御旗だ。王族の印の金髪と碧眼だ。お前の嫌うオカマは、ルイよりもその条件を満たしているぞ」
「う……☆」
「ルイは肌を焼き過ぎた。砂漠を裸で走り回る男など、あいつ以外にいると思うか?」
「あれは地黒だ」
「だったら、よけい不利だろう。それに銀灰の瞳も、ミノスの碧眼には見劣りする」
「俺達は戦争をするんだよっ。美人投票をやるんじゃねー!」
「でも、ルイは美人好きだぞ」
「う……☆」
「だいたい、何でこんな大事な時に帰ってこない? どうせ、ミノス陣営のヤツらの罠にでも引っかかって、美形の男にフラフラと着いてったんだろうさ」
「…………」
 それには光輝も返す言葉がない。

 本当に、あの男は、敵だろうと味方だろうとお構いなしなのだ。
 好みの美形なら、自分の立場もわきまえず、ヒョコヒョコついて行ってしまう。もちろん何がおころうと、己の身は己で守れる自信があるからなのだが。
「あと4日、現れなかったらルイの野郎〜っ! 一生鎖に繋いで、公衆便所にしてやるぜっ!」
「それ…、いいな」
 蘭月は、長い金髪を一房指に絡めて、ニマとほくそ笑んだ。
 あの男を鎖に繋いで犯りまくりってのは、けっこう楽しい見物かもしれないと呑気に思っていたりする。

 が、光輝の焦燥感は募るばかり。
 すべてはルイを王と戴く日のために、準備されてきたのだ。
 あまた、名のある戦士達が、ミノスには従えぬと公言してはばからないのはやはり王としての資質に欠けるからだ。
 ミノスの下では、どれほどの英雄であろうと戦意をなくす。
 戦うことすら無意味だと――…。

 千年も前から、人々は憧れをもって砂漠の向こうを見つめてきた。
 そこには豊かな楽園が広がっている。
 子供達が、冬の寒さで、夏の日照りで、流行病で死ぬことのない世界が確かにあるのだ。
 だが、ミノスを王に戴けば、戦わずして〈北〉は負ける。
 太陽の光と緑溢れる〈南〉の地を見ることなく、我らは砂漠の中に呑み込まれていってしまうだけ。
 その希望を、未来を、奪うつもりなら、ルイとて許しはしない!

〈北〉の将来が決するまで、あと4日――…。
 だが、ルイは、ようとして帰ってこなかった。

       ◆◆◆

 その頃、ナギは、不眠不休で、褐色の男に手当を施していた。
 願いを込めて、想いを込めて、煎じ薬とともに唇を這わせ、目覚めの口づけを繰り返す。
 荒い息の中で死の夢を見ている男が、いずれ自分の祖国を踏みしだく運命を背負っているとは露とも知らず――…。
「目覚めてください! どうぞ、目を開けてくださいませ。死んではいけません!」
 呼びかけるその声が、やがて世界を変えていく。
 
 運命の輪は、ゆっくりと、だが確実に回り始めていた――…。


        to be continued