第一章 第二回


 塔には、小さな天窓が一つあるだけ。
 それさえ蔦におおわれ、太陽の光を遮っている。
 昼なお暗い部屋の中、膨大な本に囲まれながら、ナギはランプの灯りだけを頼りに、ひたすら知識の海へと航海を続けていた。
 世界を知る術はそこにしかない、哀れな籠の鳥。
 この2年の間、三度の食事を桂木という若者が運んでくる以外、訪れる者もない。

「私は、母に見捨てられたのだ――…」
 
 そう納得するのに今までかかった。
 この孤独な運命の中、それでも学び続け、この世の真理を解き明かすことがきっと心を救ってくれるだろうと、賢い少年は健気に自分を奮い立たせていた。
 だが、囚われの小鳥には、さらなる悲劇が待っていたのだ。

 使用人として、幼いころからナギに付き従ってきた桂木は、少女としての彼女を心秘かに慕っていた。
 身分の差が、桂木の想いを押し止めてきたが、ここにきてついに立場は逆転した。塔に幽閉されているのは、もはや主人ではなく、天帝を欺いた罪の子である。
(ナギ様は、もう一生、塔を出られない。あの方を幸せにして差し上げられるのは、俺しかいない。俺が、俺が、この俺が――…!)
 その瞬間、桂木の股間は、しっかりテントを張っていた。
 真面目で健気な男だが、少々思い込みの激しいのが難だ。

 そして、ついに桂木は、長年の想いを力をもって成就させた。
 粗末な木のベッドにナギを押し倒し、猛り狂う己が男で、もはや紛れもなき少年の身体を貫いた。
 その瞬間、哀れな少年の絶望の悲鳴は塔を包む蔦に吸い取られ、誰の耳にも届きはしなかった。

 天窓から、わずかに差し込む月光の中――…。
 夜毎、桂木に犯されながら、痛みと快感に揺らされながら、ナギは自らに問うた。
 少女として育ち、少年であるがゆえに幽閉され、いままた少女のように犯されている自分は何者かと?
 溢れるほどに男の精を注ぎ込まれながら、なおも日々男へと変化していく自分は何者かと?

 やがて、狂気がナギを支配し始める。
 亜麻色の髪をバッサリと襟元で切り、女の衣装を脱ぎ捨て、死神のごとき黒いマントに身を包む。
 自分は男でも女でもない。人間でもない。〈再生の塔〉に住む神。
 命を司る神ぞ――!

 そうして、常識の殻を打ち捨てたナギの才能は、驚くべき速度で開花し始めた。計算高いオルガが、それを見逃すはずもない。
 ナギに新たな薬の調合をさせ、それは塔の地下室で、奴隷の身体を使って試された。
 その時だけナギは小部屋を出て、自らの調合した薬の効きめを確かめることが許された。


 ――ある日――…。
 それこそが、運命の日。
 2人の奴隷が、地下室に運び込まれた。ともに年の頃は20歳前後の逞しい男だった。
 見事な黒髪と黒い瞳は、〈南〉の宿敵〈砂漠の民〉の証だった。
 都に偵察にでも来たのだろうか?
 一方の男は、負傷し、すでに息も絶え絶えだった。
「これを呑みなさい。傷口を塞ぎます」
 ナギは、新たに調合した薬を迷わず与えた。
 薬は確かに成功だった。
 一時的に傷の広がりを抑え、その場で事切れても不思議ではなかった男はそれから半日あまり生き延びた。
 だが、そうして命を長らえた分、痛みに胸を掻きむしり、苦しみの果てにもはや人語とは思えぬ叫び声を上げながら死んでいった。

 両手を鎖で繋がれた、もう1人の男は、悪鬼のごとき形相でナギを睨みやり、復讐を誓った。
「くっそやろぉぉぉ――――! おっ…覚えてろ、貴様っ! 生きながら貴様のくそチンポ、寸刻みにチョン切ってやるからなぁ――っ!」
〈砂漠の民〉は少々お下品だった。
 桂木が鞭を振り上げ、男の黒曜石のような左目を打った。
 潰れた瞳から血を流しながら、それでも男はナギを睨み続けた。
「忘れねーぞ、その顔。絶対に忘れるもんかぁぁぁ――――っ!」
 憎しみに燃えるその目が、
 死んだ男の断末魔の顔が、
 ナギの狂気の中に微かに残っていた良心のかけらを揺さぶった。
 桂木に命じ、密かに男を逃がしたもののナギの心は晴れなかった。


 夜毎に自分の薬で死んでいった犠牲者達が夢枕に現れて、呪いの言葉を吐いていく。
『お前のチンポを、チョン切ってやる。チョン切ってやる。チョン切ってやるぅぅぅ〜』
 砂漠の男の復讐の言葉は、強烈にナギの脳裏に刻まれてしまった。
『チョン切って、お前を女にしてやるぞぉぉぉ〜』
 女の身体を手に入れるのは夢ではあったが、その方法は、ちょっとイヤかもしれない。
 悪夢に怯えるナギに、桂木は1冊の書物を渡した。
 書かれていたのは、〈砂漠の民〉が信奉する、神の言葉。
 それは、〈南〉を始めとする王家に伝わる創生の神話ではなく、不毛の砂漠の中で人が人として生き抜く方法を、信仰の中に取り入れたものだった。

   ――祈りだけでは、救いは与えられない。
   最も大いなる試練は、自然だと知れ。
   両の足を動かせ。前へ、前へ……と。
   戦い、キズつき、倒れようとも、
   時には人をあやめようとも、
   ひたすら前へと進む者だけが、
   不毛の砂漠を渡り、
   やがて、緑成すオアシスへとたどり着けるのだ――…。

 罪は消えない。
 過去から逃げることはできない。
 砂漠は、懺悔の時間さえ与えてくれないほど過酷な場所だ。
 そんな中でも、人は犯した罪を背負いながら逞しく生きている。
 生きていかねばならぬのだ。失われた命の分までも、次代の命を生み出さねばならないのだ。

 そうしてナギは、ついに己が犯した罪の深さを知り、成すべき道を見つけ正気を取り戻した。

       ◆◆◆

 隠し切れる秘密など、この世にはない。
 化粧オバケ、天帝ギリアンが没して、数ヶ月後のこと。
 桂木の密告により、即位したばかりの少年王、パブロ・天羽は、塔に幽閉されている少年のことを知る。
 オルガは縛に就き、すべてを白状した。ナギは男であり、亡き天帝の種でもないと。

 小部屋の扉がついに外界に向いて開かれた時、若き王は、そこに涼しい瞳で自分の運命を受け入れ、超然と立つ青年を見た。
 オアシスに湧き出る泉のごとき、清廉とした美貌。
 幽閉されてより、すでに5年。
 ナギは17歳になっていた。


        to be continued