遠い遠い、いにしえの昔――…。
それは千年前とも、あるいは100万年前とも言われているが……。
確実なことを知る者は、この地にはすでになく。今はただ、旅の酔狂な吟遊詩人達が、〈伝説〉あるいは〈神話〉の中の逸話として語り伝えるだけ。 それにすら耳を傾ける者は少なく、記憶に残す者となれば、限りなく少ない。
……昔……、砂漠は、緑溢れる楽園だったと言う。 永遠に続くと思われていた繁栄の中で、人々は神への畏れを忘れ、信仰を失い、働くことを嫌い、都には享楽と怠惰が満ちた。 やがて大地は乾き、森は消え、砂漠が出現した。それは、一つだった大陸を、実り豊かな〈南〉と、不毛の〈北〉へと引き裂いた。 民族は四方に分かたれ、憎しみが生まれ、そうして〈南〉と〈北〉の血で血を洗う争いが始まったのだ。
砂漠は、すべてを食い尽すことだけを目的とした生き物のように貪欲に都市を侵食し、今も広がり続けている。 ――なんちゃって――…。
◆◆◆
大陸の南側に位置する都。 人々は、太陽の恵み深きその地を、〈大いなる都〉と呼んでいた。 統治するのは、神の姿を写したと言われる、黄金の髪と碧眼を持つ美しき天帝、ギリアン・雷鳴。
人の寿命は45年と言われるこの時代。やがて40歳を迎える天帝の肉体は、分厚く塗り固められた色粉によって若々しさを保っているように見えたが、その体内は着実に老いに蝕まれていた。
時々、あまりに化粧が厚すぎてピシリとヒビが入ったりすると、天帝は鏡の前で狂ったように泣き喚いた。 「私の美貌が、美貌が、美貌がぁぁぁぁぁぁぁ――――!」 だから、全部、化粧だってー。
シワがあるからヒビが入るのだという事実を、どうしても認めることのできない天帝は、やがて権力を極めた者が一度は夢見る野望に取り憑かれることになるのだ。
――不老不死――…。
見果てぬ夢が、名君と呼ばれた天帝を、哀れな老人に変えていく。
――ある時、西方の果てより、1人の女占星術師が現れた。
オルガと名乗った彼女は、自分は名門の医師の出であり、古代の秘術を獲得したと、天帝の前で言ってのけた。 もちろん、真実のほどは定かではないが……。
天帝は、オルガの亜麻色の髪と透き通った象牙色の肌に一目で虜となり、栄誉ある宮廷医師の称号を惜しげもなく与えたのだ。
それが、都の衰退を招く原因となることも知らずに――…。 さらに、その瞬間、オルガが心の内で、 (この色ボケジジイ〜! 私の魅力にかかりゃあ、一発よぉー!) と、ガッツポーズを決めてたことなど、想像だにしなかった。 当たり前のことだが――…。
天帝の寵愛を一身に受け、比類なき力を持ったオルガは、民の血税を湯水のように使い始める。
錬金術師達の甘言に躍らされ、金に糸目もつけず妖しげな秘薬を買い集めた上、この世のどこかにあるという〈永久の楽土〉を求めて、都を支えていた名のある英雄達を大陸中へと送り出した。
彼らの中のある者は、〈呪われた砂漠〉で倒れ。 またある者は、〈迷いの森〉で行方知れずなり。 生きて再び帰ることはなかった。
それでも、オルガの魔性に魅せられた天帝の狂信は、増すばかり。 毎夜、寝所にオルガを招き、妖艶な身体を貪りながら、彼女が若さを取り戻させてくれたのだと信じた。 「うおっ、うおっ、うおぉぉぉぉ――――! ごっ…極楽じゃ〜」 たとえ天帝とて、その最中にまで、お上品ぶってはいられない。 大いに吠え、大いに腰を使い、満足の中で眠りにつく。 だが、老いたる天帝の、それは最後の輝きでしかなかった――…。
◆◆◆
――瞬く間に、10数年の歳月が流れる。 宮廷医師オルガの広大な屋敷の片隅。忌むべき北の方角に、びっしりと蔦におおわれた石の塔が建っていた。 〈再生の塔〉と呼ばれるその場所で、オルガは、新たに調合した薬の効果を生身の奴隷を使って試していた。 しかし、〈再生〉とは、これまたなんと皮肉な呼び名だ。 奴隷の大半は、生きて再び塔を出ることはないというのに。
調合に失敗した薬に蝕まれ、狂い死にする者は、まだ幸いだった。
中には正気を残したまま、五体を引き裂かれる激痛に1月あまりも苦しみもがき、己の爪がはがれるほどに激しく身体中を掻きむしったあげく血肉の塊となって息絶える者もある。
哀しき奴隷達の悲鳴を吸い込みながら、今日も静かに塔は立つ。
誰も壊さないからだ。
その螺旋階段を上りつめた最上階。 何重にも鍵をかけられた小部屋に、もう2年にわたって閉じ込められている者がいた。 名を、ナギ、もしくは、渚という。 少年であり、また、少女でもある。
彼、もしくは、彼女は、オルガの実子であり、すなわちその子種はギリアン天帝であった、……はずだが。
実は、オルガ自身も誰の子かわからないほど、あまたの恋人達とご乱行にふけっていたのだ。
天帝は、歳のわりには頑張ったが、すでに精は枯れ果てていたはず。
だが、子供は生まれてしまった。
さらに、悪いことに、それは男の子だった。 王子の母となれば、後宮に入るのが王室の定めだった。 が、天帝には、すでに正妃との間に、4人の王子がいる。 8人の愛妾との間に、25人の王子と、32人の姫がいる。 さらに、コッソリと外でこしらえた数は、100人を下らないとも。 もうやめておこう――…。
王家は純血を尊ぶゆえに、よそ者のオルガは愛妾の中でも位が低く、我が子に世継ぎの権利が回ってくる可能性は、ないに等しかった。 その上、自分は、宮廷医師の地位を奪われ、後宮の中で一生を送らねばならない。
オルガは1人、自室で産み落とした赤子を腕に抱き、ヨヨと悲嘆に泣きくれた。くれすぎて、叫びまくった。 「じょーだんじゃないわよ〜! そんなのゴメンだわ。せっかくの地位を、金を、権力を、失ってたまるもんですかぁぁぁ―――っ!」 子供を産んだばかりなのに、元気な女だ。
宮廷医師としての自分の勤めを誇りにし、科学者として生命の神秘を解明することに情熱を燃やしていた。 ……と言えば、聞こえはいいが、ようは男のどもの上に君臨して、威張っていたかっただけのオルガは、ここで一計を案じる。 腕の中で微睡む赤子を、少女として育てることにしたのだ。 「そう、渚と名付けよう。愛称はナギ。そなたは少女。王子などではない。私は、もっともっと栄華を極めて、甘い汁が吸いたいのだよ」 魔性の高笑いが、部屋に響く。 「ほ――――っほほほほほほほほほほほっ!」 どーでもいいが、そんな大声を出して外に聞こえないか?
だが、この日、運悪くオルガの高笑いを耳にした者は、翌日には調理場で血反吐を吐いて死んでいた。
何人かの者が不審な死を遂げる中、それでもナギこと渚は、健やかに育っていった。
母からは亜麻色の髪を。誰だかわからぬ父親からは、深い茶色の瞳を受け継ぎ、それらは可愛らしい少女の姿に見事に映えた。
オルガは、娘の姿をした息子に語って聞かせた。
「時として、神の悪戯でお前の様な子が生まれる。一見男のようだが、やがて女の身体に変わるのだよ」
と、神妙な面もちで人の身におこる数々の驚異を。
両性具有の者。 男でも、女でもない者。
男として生まれながら、思春期の到来とともに、女へと変わる者。
また、その逆の者。
「お前もそんな変わり者の1人なのだよ。時がくれば、お前も女の身体に変わるだろう」 と、誤魔化しだけは巧い女だった。
ナギは、自分の身体の不思議を考えた。 そして、生命の神秘について考えた。 真面目で素直な子だった。そこだけは母親に似ず。 興味は、いかさま医学へと向かった。 10歳の誕生日に、ナギは自分専用の研究室を与えられ、そこで思うさま医学の研究に没頭した。
――が、夢のような少女の日々は、長くは続かなかった。 思春期を迎え、次第にナギの身体は少女の柔らかさを脱ぎ捨て、少年の逞しさへと変化していった。
そして、秘密が露見することを怖れたオルガは、ナギを、我が息子または我が娘を〈再生の塔〉の闇の中深くへと幽閉したのだ。
to be continued
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