作品裏話


 これは、なかよし時代のかなり初期に、付録のノート用に描いたイラストです。
 たぶん『きらら星の大予言』の前後だと思うんだけど、あさぎりは終わってしまったことにあまり興味がないもんで、付録も雑誌もまったく取ってないって状況でして。
 サイトを見てくれた方からのリクエストがあって、ようやく、
「そーゆーのも描いたことあったっけなー」
 と思い出したくらいなんです。
 その上、原稿の管理も悪いしで、ろくに中身の明記もしてない原稿袋の山の中からやっとこ探し出しました。

 確かノートの見開きページの右端に2〜3行ほどの短い物語とイラストが載ったんだと記憶してますが。
 なにしろ物がノートなもんで、印刷された絵はオマケってくらいに小さくなってしまったんだけど、実はかなりの大きさで描いたんです。
 それも2色でしょう。カラーを描くのと手間は変わらないわけだし、今回14枚にまとめたけど薔薇の花や鳥は別に描いてあって、今見てもメチャクチャ大変そうだってのがわかる仕事でした。
 絵自体は下手っくそだけど、力だけは入ってますねー。今じゃ出来ない時間のかかる塗り方してます。

 実際、なかよしの付録ってのは無茶な企画が多かったんだわ。それも遠慮なくこき使ってくれてー。
 
あさぎりはイラストの仕事が一番嫌いなもんで、毎回うんざりしながら描いてた覚えがあります。
 涙涙ですよ〜。付録さえなかったら、あの倍とはいかなくても、かなりの量の作品が描けていたと今でも思ってますね。

 確か物語は他の人が書いた物だったと思うのですが、とにかく現物がないもんで確認のしようがありません。今回サイトに掲載するにあたって、絵の雰囲気に合わせてnさんに新たに物語を書き下ろしてもらいました。
 表紙に書いてある文の作者名『音胡』が『ねこ』と読んで、nさんのことです。
《2001/4/25 あさぎり夕》


 はい、音胡ことnでございます。
 このイラストをパソコンに取り込んであれこれといじりながらあさぎりさんが、「元の話がないから、つけない?」とゆうたもんで「じゃあやるわ」となりました。
 シンプルで短いものですが、きっちりと出来上がってる絵に合わせるってのは、なかなか面白いと言えば面白かったです。
 例えば「桃太郎」とかの、知ってるお話の紙芝居があって台本が無い、みたいなもんですね。猿・雉・犬の性格づけ…くらいの自由度はありましたが。
 ともあれ、古いとゆーか懐かしいとゆーかな、若きあさぎり夕の絵を、どうぞ御堪能くださいませ。 
《2001/4/26 n》



 読者の方からの情報提供がありまして、この作品についての詳細がわかりました。昭和54年の夏頃の付録です。『きらら星』を始める1年以上も前の仕事でした。
 原作のポエムは『さよならの森』というタイトルで、作者は名木田恵子さんです。ペンネーム水木杏子さんといえばわかるでしょう。あさぎりがマンガを描かせていただいた『きらら星の大予言』の原作者さんなのです。
 サイトへの掲載、および、現物がないため話をこちらで創作してしまったことについては、早速、名木田さんにご報告し、ご了解いただきました。

 nさんが必死に知恵を絞って考えてくれた話は、あさぎりが『妖精の涙』と勝手にタイトルをつけてしまったせいで、妖精の立場から見た話のようになってしまったけど、原作の方は、むしろ恋人達の愛の方がメインだったようです。
 最後のページに湖の絵があって、何故、森のはずなのに急に湖が出てきたのかが最大の疑問だったんだけど、その疑問も解決しました。森が沈んで湖になったのでした。

 実際に付録になった時には、ページの関係で2ページほど削られてしまって、魔王の絵とかは使われなかったことも思い出しました。
 そーゆ意味では未発表のイラストがあったんだわ。
《2001/8/6 あさぎり夕》


 …というわけで、物持ちの良い読者さんのおかげで、本来の物語は、名木田恵子(水木杏子)さんの手によるものであったことが分かりました。
 nには現物の記憶はまったくなかった(…というか、時期からすると目にしていない可能性が高い)もので、白紙の状態で目にしたイラストに対して、「描かれている絵の意味を解く」という感じの作業をしたわけだったんですが。 だから、どうしても、口数多く説明っぽい語りになってしまったという自覚もあったんっす……と、これは言い訳ですが〜(^^;
 それにしても…
 実は、そもそもは、立派な作家さんが、きちんとお仕事をされた物語が元だったんだわ〜(^^;;;
 と、改めて思い知らされて、今さらながら、大汗かきまくっております〜(^^;;;;;
 しかも、はっきりと「絵を読み違えた」部分まであったりするという……

 えっと。
 これ以上のうだうだは申しませんが。
 上記のような成り行きということで、関係者さまはもちろん、当時のご記憶をお持ちの読者さんにも、よしなにご理解いただけますよう、お願い申し上げます。
《2001/8/6 n》